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第1章

 その日、なぜ機嫌が悪かったのか、今ではもう覚えていません。
 その頃は、女学校でなにか嫌なことがあると、真っすぐ家に帰らず神社で心を落ち着かせていくのが常(つね)でした。神社の石段に腰掛け、豆腐屋のラッパなんかを遠く聞きながら、暮れていく空を眺めていると憂欝(ゆううつ)な気持ちもいらだちも、不思議と薄らいでいくのです。
 その日は見事な夕焼けで、雲の下を飛んで行くカラスが影絵のように見えましたっけ。私は手の平にのせた一粒のビー玉に空の色を映し、その輝きを楽しんでいました。
 そのビー玉は、家を出るときに床に転がっているのに気づき、家族の誰かが転んではと、とりあえずポケットに入れてきた物でした。おそらく私が幼い時分にどこかにしまっていた物が、何かの拍子に出てきたのでしょう。いつできた物か、半月形の傷がありました。
 そのラムネ色のまあるい球に、ふいに男の子が逆さに映り込みました。
 見ると、いつの間に登ってきたのか、階段の数段下に見慣れない少年が立って、私を見上げています。白い半袖シャツに、半ズボンという格好をしていて、どこか良い家のお子さんに見えました。
「あら、こんにちは」
 私があいさつをすると、少年は黙って頭を下げました。そして、ビー玉をじっと見つめます。
「欲しいの?」
 男の子はこくりとうなずきました。
「はい、どうぞ」
 別に惜しい物でもなし、私はそれを少年に差出しました。
 少年はビー玉を受け取ると、にっこりとほほ笑みました。その顔は本当に無邪気で嬉しそうで、ほほ笑み返さずにはいられない、そんな笑顔でした。
「ほら、『ありがとう』は?」
 お姉さんぶってこう言うと、少年はぺこりと頭を下げました。そして、何かを握った手を差し出してきます。
「くれるの?」
 少年がうなずくので、私は彼の握りこぶしの下に、器のように丸めた両手を添えました。
 ぽとりと落とされた物は、最初は白い小石のように見えました。つまみ上げて見ると意外と軽く、冷たくもなく、そう、永いこと水にさらされ、色が抜けて化石のようになった流木のようでした。きっと、どこかの河原で拾ってきたのでしょう。
 この年頃の少年にとって、キレイな小石や枝、チョークのカケラなどは大切な宝物です。私は、この木のカケラと一緒に少年の真心も受け取ったのです。
「ありがとう」

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