Satori

人間は間違いなく、自分の目に映すものを選んでいる。 そして面白いことに、映すものは必ずしも被写体そのものとは限らないのである。 道すがら花壇に咲いた美しい花を見たとしよう。 どんな色で、どんな花びらだったのか。どんな形状の葉でどのような重なり方をしているのか。興味のある人ならすぐに記憶するだろう。それでは、花壇自体はどうだっただろうか。どんな石を使ってどのように何段積まれているのか、それが何色だったのか、即座に答えられるだろうか。花と同じようにそこにあったはずなのに不思議と目には映らない。 興味の対象をフォーカスした映し方をするのが、人間の目の『見え方』だからである。 それに対してカメラはどうだろう。 目で見たときに美しいと感じた花を写真に収めて、後から見た時にそれほど良いとは思わなかった。目で見た時ほどの感動を得られなかった。こんな経験はないだろうか。 ただ撮影したというだけでは、カメラは全てを平面的にキャッチしてしまう。花も、花壇もカメラを通すと存在感が均一化されてしまうから、感動が薄れてしまうというわけだ。 それは何故、カメラで撮影する時に焦点を合わせる被写体を絞るのか、ということにも繋がっている。 人間の目で被写体を見た時の映り方と近い状態に仕上げれば、目で見た時の感動を再び呼び覚ますことが出来る一枚になるからではないだろうか。 しかし、目で見て感じたものをそっくり同じように残すことは、テクニックとしても難しい。 彼女は生物の写真も多く撮ったが、それらから汲み取った想いをカメラを使って表現する為にどんな工夫を凝らしただろう。一体どこをフォーカスしたのだろうと、ページをめくりながらそれらを探すのは、この写真集の楽しみ方のひとつでもある。 この写真集には間違いなく、空や育まれる命の向こう側に見えるものがある。 それはある意味鏡のようでもあり、私たちが見せてもらったこれらの写真は、彼女の目に映る世界に他ならない。 ともすれば、その写真を見た私たちの目に「映り込む何か」もまた、間違いなく彼女の目に映る世界ともいえ、それはきっと彼女が無意識に感じ、伝えようとしている世界に違いない。 本来なら何故この写真集が素晴らしいのかという本題に触れて締め括るべきではあるが、その答えはもう、改めて書くまでもないだろう。 また、君の世界を覗くのを楽しみにしています。
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Satoriさま☆ お返事が遅くなりすみませんっ。 多くのことに精通しているさとぽんには常々頭が下がります。 自分が見て感じた通りに写真を撮るのは本当に難しいです。 さとぽんが言うように、被写体をそのまま撮るとすべてを平面的に捉えてしまうので、本物を写したはずなのにその感じた『なにか』は不思議なまでに薄れてしまう。引いて撮る写真と、一歩踏み込んで撮る写真とでは絞りの必要性もフォーカスの対象とする範囲も違ってきますが、なにを表現したいのか、どう見せたいのかを意識して撮ってきたつもりです。 (まあ、実際はそれほどうまく撮れてないものばかりだけど(^_^; ) だいたいいつも裏話をさとぽんに
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[壁]/・x・)・x・)ノチャオ♪ みんなさ君の写真見ると、きっと、すごく良いって思うんだけど、それが何でなのかって意外とわかんないんじゃないかなって思って妙なことを書いてみました。 理由がわかればさ。もっとじっくりと見るし、それでいのこの意図が掴めれば、なんとなく見てた人も、写真に詳しくなかった人も、みんな作品の面白さや写真自体の面白さをわかるんじゃないかと思って。君の作品を入り口として、写真を好きになってくれたら、もし撮りたいって思ってくれたらこんなに嬉しいことはないだろう、って思ったのです。 そうそう、ふつーに撮ったらやっぱり単なる平面なんだよね。わたしはさ、一眼もどき持ってるけど
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