野井田 区論

■物語が物語られる意味について  昨夜録画していた『おおかみこどもの雨と雪』を家族で観ました。  途中、おおかみおとこが呆気なく(いや割とマジで)死んでしまったシーンで、やたら母親が「どうしてあんなところで死んじゃったんだろ」とうるさかったです。黙って観てろと言いたい(笑)  いや、花ちゃんが死んでるおおかみおとこを発見して「私の最愛の人殺すとかマジ許すまじ。誰だ殺ったの、口に手突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたるわ」みたいなサスペンスとかならいいんですよ(その場合、その「どうして」はいずれ明かされるからやっぱり黙って観てろ)。  でもこれってそういう物語じゃないでしょうよ。常識持ち出して枝葉末節をほじくり返してどうすんのさ(笑)  実はそういう細かいところがふと気になってしまうのは僕も一緒でして、ただ、それならそれで慎み深く黙ってる方がマシなんじゃないかなぁと思います。  何が言いたいかと言いますと、つまりこれから僕は枝葉末節をほじくり返しますが、それそのものは作品の質を落とすものでも、そもそも広義の批評ですらないということです。  悪癖を晒しますが悪癖であることは分かってますよ的な、エチケット袋的なそれです。  よろしいでしょうか(笑)  個人的に『おおかみこどもの雨と雪』を映画館で観たときから何か引っ掛かるものがありまして。昨日見返してみて何となく「これかな」と思ったのが、つまり雪ちゃんのナレーションです。  つまり雪ちゃんの語りは誰に向かってるの? ということで、それがなんか「映画の観客」を向いているっていうのにあまりしっくり来ない感があるのかな、と。  一人称ナレーションがダメって訳でもないんですよ。ご存じの通り(?)『スタンド・バイ・ミー』は僕の青春ですから。友達に「線路の上とか歩かねぇ?」って誘うぐらいには。(「JRで雰囲気出るか?」と返されたけど)  だから、なんでその物語は物語られたのか。もしくは物語られる必要があったのか、っていう。その出発点がいまいち曖昧なのかなぁ、と。  まぁでも分かんね(笑) なんでだろ、『雨と雪』じゃなかったらそんな細かいこと気にしないんだけど、うーん。言葉にして説明しようとすると激しく話題が逸れてく気がする(笑)  そんな枝葉末節はともかく、いい映画です。『雨と雪』。『バケモノの子』も観たい。てか最近面白そうな映画大杉。て悩む。
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