ちょっと出来事があって、そのある人が言うには「読者への挑戦」は読者へのサービスの一種だとか。僕はちょっと首を傾げてしまいました。 「読者への挑戦」はエラリークイーンが用いたのが初めて。本格ミステリーにおいて解決編が終了したあとにつけられる「データは出揃った。読者は提供されたデータから論理的に犯人を推理することができる」という合図、それにプラスして「私は(著者)フェアプレイ精神に則って書きました」という宣誓だと思うのだが……。  サービスであると捉えるのは確かに面白いですが、それを第一義(使い方としてあってるのか?(笑))とするのはおかしい。本格ミステリーが歩んできたおよそ1世紀の歩みに対する挑戦にも思える。
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 いやはや、「読者への挑戦」が読者へのサーヴィスの一種とは……その考えには僕もちょっと首を傾げてしまいました。  これだから、本格のおもしろさ大切さを軽視している人は困る。小説のおもしろさにジャンル的優劣の差はないとしても、個々の作品における質的差は厳然と存在します。プロアマのべつなく、優れた作品と駄作凡作の違いは歴然としている。それを好き嫌いのような短絡的な固定観念で混同(ごっちゃ)にしてしまうのは、あまりに乱暴すぎるでしょう。  そもそも、進藤さんとまともに議論しようとしてないのがよくない。法月綸太郎の名前を出し言葉を出して一方的に批判するというその、権威によっかかってやりこめようと
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 やはり、僕が感じた違和感はおかしくはありませんでしたね。本格ミステリーが好きな人が彼の主張を見たら、総じて同じ感想を抱くのではないのでしょうか。  仰る通りですね。本格ミステリー、ライトミステリーにジャンルとしての差はないと思います。本格ミステリーを権威だって考えるのは危険な気がしますし。ですが、やはりそれぞれの作品に「面白いかどうか」の順位はできてしまう。  読者への挑戦云々や、「これ本」がアンフェアな代物であるという一連の主張には、正直言って「何言ってるんだコイツ」と思いました。クイーン問題と言った評論に目を通すのは絶対とは言いませんし、僕も恥ずかしながらちゃんと理解していません。そ
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