藤燈 夜夏

「どうせまた汚くなるのに、なぜ掃除するの?」 という最強にネガティブな思考にがんじがらめにされたうえに お掃除用品をことごとく切らしてしまっていて まったく大掃除がはかどらないまま ネットの海をただよっているうちに ついに大晦日となってしまったので、 1つ、覚ったことを書きます。 やっぱり、巧い絵を見ていないとだめだ。 神絵を見続けていると心が折れる、けど 巧くなるためには、神絵を見て、神絵から学ばなくちゃいけない。 理想の神絵が描けるようになるなんて無理、 でも無理なら、なおさら近づけるよう努力しないといけない。 そのためには、活動場所/方法なども考えてゆかないといけない。 エブリスタに来てまもなく5年になるけど、 ちょっと自分を甘やかしすぎだった。 ここでは、いくらでも好きなことをわめきちらし、 いくらでも自分を甘やかし続けることができる。…… 漠然と決意しかけていたけど、 さっき結論した。 これ以上貪欲になっても失うばかりでは、とも感じるけれど、 控えめにしていたところで上達なんてするはずがない。 別にいいよね、 底辺の人間が高みを目指しても。 「底辺」にいる身からすると、何かを志すとすれば、 それは必然的にすべて「高み」になるんだろうし。 そんな大層な身分でもあるまいし、 身の程知らず、とか遠慮していたって 絵は巧くならない。 「そこまでして、何故描く?」 「他人様の神絵を眺めて満足し続ける一生でよかったのでは?」 「というか、今のままでは必然的にそうなるよ?」 それだけでは嫌だ、自分でも描けるようになりたいんだ、 と散々思い知らされてきているんだから、 あとはもう躊躇せずに、納得がいくまであがけばいいんだ。 神絵を見ては冷や汗をかき、そのたびに諦めたくなっても。 楽しければいい、楽しくないと意味がない、 というのも正論だけど それだけでは巧くなれない。 自分が描かなくても地球はなにも困らない、 その一方で、自分にしか描けない何かを探求し続ける。 矛盾した事象をかかえながら、 一生、お勉強です。 と、すでに汗びっしょり(キチャナイ)になりながら いつになくスムーズにキーボードを打つ おおつごもりです。 良いお年を。 2017.12.31
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