有月 晃

新垣さん、こんばんは。 ご無沙汰しています。有月です。 この作品を幾度も読み返させて頂きました。 物語中盤に記述された、この一文が理由です。 「そして、私は本に作者の魂が宿ることがあることを知った。」 個人的な経験になるのですが、とある書籍と向き合った際、これに類する認識を得ました。大学の講義の一環で手に取ったその本を読み進めるうちに、重層的な物語の構造を媒介にしていつしか私は著者自身と対峙していたのです。 この体験を親しい友人に語ったことがありますが、やはりなかなか理解は得られませんでした。しかし、この作品を拝読して、数年振りにハッとさせられました。 また、この既視感を抱きながらこの作品を反芻するうちに、主人公と私自身にもう一つの共通項を見出しました。それは幼少期における母親との濃密な親子関係です。そこに父親の影は全く窺えず、おそらくは何らかの理由で不在なのではないかという印象を受けています。 おそらく母親は主人公に人一倍の愛情を注ぎ、主人公もそれを享受しながら感受性豊かな人格へと成長したのだと思われます。しかし、そこに色濃く潜む危うさに、私は視線を向けずにはいられません。 努力に努力を重ね、ようやく受賞を果たした主人公が得たのは達成感ではなく寂寞たる安堵であり、それは間もなく強烈な虚脱感へと繋がっていったのではないでしょうか。遙か高みを目指して羽ばたき続けた片翼の鳥にとって、昇ることが滑り落ちる為であったとしても。 私には、それを安易に咎めるべきではないと思えるのです。 どうも自分語りばかりになってしまい申し訳ないのですが、それくらい内面に訴える描写に満ちた作品でした。今後も素敵な作品を読ませてください。 有月 晃
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ご感想、レビューをいただき、ありがとうございます! お返事はこちらに一本化させていただきます。ご了承ください。 作品を介しての著者との対話は、私も強く感じています。 小説を書くようになって気づいたのですが、作品は著者の中にある叫び声を視覚化したものです。面と向かって話すより、その人の主張が濃く、濃く圧縮されて、美しくも醜くもなって込められた結晶です。 作品は著者と対話するための媒介の役割を果たすものでもあると、私は思います。 父親の影が見られないことですが、ここから先は私自身の話になってしまいます。というのも、この作品の主人公はほとんど私そのもので、ただただ何も考えずに私自身をページの上に
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新垣さん おはようございます。有月です。 とてもご丁寧なご回答、有り難うございました。 すっかりご返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。 さて、著者との対話、自分も書き手になってみて初めて気付く事もありますよね。これはとても興味深い感覚なのですが、残念ながら私の周りでは共有出来る人が少ない様です…… また、本作品にて父親の影が見られなかった理由も納得です。そっか。現実とは異なる表出の仕方をすることもあって当然ですね。 「滑り落ちることで……」についてはきっと見解が分かれる部分で、この結末を受け入れられるかどうかが当作品の評価にも直結するんだと思います。ここは他の方の感想も是非聞

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