天川 青大

二度、読み返しました。一度目は結末でぐっと込み上げ、二度目は結末を知っているので涙をこぼしながら頁を繰りました。 なんとも悲しい物語です。ホンションが産まれる前に父親が亡くなった為、母子は貧しい。昼の花売りだけでは立ち行かない。だから夜にも出掛けて行く。そうした事情と光景は当時の上海だけではなく、恐らく北京でも大連でも西安でも珍しく無くあったのだろうと思います。そして恐らく現代の日本にも。 この物語の背景は古い上海ですが、作品の本質と伝える想いは時代の違いではないと判ります。 母子の情愛です。人間が生まれ育つ原型ですね。 作中に、こうあります。 《 流れ星だ。 やっと、もう一度出て来てくれた。 鴉児は雪の上に膝を着くと、赤くなった小さな手 を合わせて震えながら祈った。 「お星様」 少年の大きな黒い目に光るものが点じて揺れた。 「どうか、母ちゃんに会わせて下さい」 瞬き一つしない両目から、涙が溢れて零れ落ちた。 「ご馳走も何もいらないから、ずっとボロを着たチビのままでもかまわないから、今すぐ、おれを母ちゃんに会わせて下さい!」 星は、光り輝きながら、空と地上のあわいに紛れ て消えた。 》 子供は何を求め、どのように育つかが明確に描かれています。 結末は明確に知らされません。しかし、母親の靴が雪に埋もれていたと描写される事から、悲しい出来事があったと印象づけられます。 それはカラスが飛び立ったという表現で暗示されています。 人は、子供は、こんな時に、どう感じるのだろう? 時代に思いを馳せ、人の心の観察から生まれた、素晴らしい文学です。 久しぶりに泣いて、心が洗われた思いです。 この作品が、より多くの読者の眼に触れて欲しいと切に思います。 感動を、ありがとうございました。
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マジシャンさん お返事が遅れましてすみません。 拙作へのご感想どうもありがとうございます。 二度も読み返して下さったことはもちろん、こんなに丁寧に読み込んでいただいて、作者冥利に尽きます。 鴉児が二度目に流れ星を目にする場面は書き手としても力を入れた部分ですので、 そこに目を留めていただけてとても嬉しいです。 マジシャンさんの仰る通り、1930年代は上海ばかりでなく、 中国全土にとって苦難と悲哀の時代でした。 特に上海は全人口の約十%が娼婦だったと言われており、 これは同時代のパリやロンドンなど西洋の都市と比べても十倍の割合だそうです。 街娼の様な明らかな形の売春でなくとも、当時の

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