天野行隆

内面の優しさがあって、初めて受け入れるもの
本作品には絶対的な悪がいないが、理不尽という言葉が人物たちを包んでいる。だが作品の人物たちは皆受け入れている。障害を持つ主人公のだんご。母の介護をしている知沙。二人の周りには多くの登場人物がいるが、皆が皆中立的に振舞う。他者からの暴力(いじめ)もなく、受け入れていることについてはかりそめの理想に見える。知沙は母の介護を皆には伝えずにただ一人で黙々と行う。これが知沙が見出した「答え」だとするなら、あまりにも悲劇的だ。だが彼女自身が選んだ選択は、だんごにも波及していく。彼の「優しさ」は決して表面的なものではない。二人の関係性は天秤のようなものであり、お互いが釣り合っているからこそ、物語にはより多くの優しさを発見することが出来るのだ。 障害児への教育問題とヤングケアラー。どちらも現代の子どもたちには非常に重い問題である。決してどん底に突き落とすような悲劇的な幕切れになるわけでもないし、誰もが幸福で満ち足りている終わりというわけではない。物語の終わりに見えるのは、この世界に生きる全ての人物たちへの光に見える。その終わり方だけでも、小説として精度の良い出来を保証している。
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うわぁ、ものすごく嬉しいです。 天野さん、ご感想ありがとうございます、本当に。 実際にわたしの周りにもある問題で、わたしたちの知り得ないところでたくさんの子どもたちやその子たちを取り囲む周りに起きている問題をただの悲劇やただのめでたしめでたしで終わらせてはいけないと思って書きました。 わたしが考えるより見事に表現いただいて、もう感謝です!
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こちらこそ良い作品をありがとうございました!ちょっと堅苦しいというか、もう少しくだけて感想を書いても良かったのかと思っております。ただ、提起する問題的に少しばかり堅苦しく書くことでしかこの物語を紹介することが出来ないと思い、このような形になりました。いろいろ考えされられる話題ですが、正面から描き切ったことは素晴らしいです。ありがとうございました!
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