愛❣️みなさんこんばんは。(`・∀・´)ども、おっさんでふ。あー、今日つぶやいたばかりなのに、またつぶやいたのはガリガリくんは赤城製菓じゃなくて赤城乳業だったので、ごめんなさい。のつぶやき。( ̄O ̄)ついでなので、求人広告のお話するか。それは私が【文章を書く】きっかけのお話。最近、電通がオリンピックの談合で陳謝してましたが、私が若い頃はバブル期で、広告全盛期でもあったのね。電通、博報堂といえば、広告業界のトップでしたよ。糸井重里を中心とする。コピーライターなる職業やグラフィックデザイナー、イラストレーター界にキラ星の如くスターが現れた時代でもありました。美術工芸高校出たばかりの私も、広告業界に憧れてね。でも、着物の絵師の弟子入りの就職先はあっても、広告業界にはコネもない。で、当時、リクルートが出していた求人雑誌、とらばーゆ、就職情報の制作の募集を見てね。アルバイトでもいいや。と求人広告のお仕事をかじりました。求人広告は広告業界の中では底辺の仕事なんて言われてましたけどね。リクルートという会社は営業会社でしたからね。制作の人員は少なかった。だからこそ、一人でデザインもコピーも写真もやらせてもらえた。でも、文章なんて、学校の作文もまともに書けなかったし、興味もなかったんだけど、自分で取材して書かなきゃなんない。周りには大学卒の頭の良い人がたくさんいてね。基本的な事を、いろいろ教えてくれました。句読点の打ち方、てにをは、助詞の使い方、広告の漢字は十歳の子供が読める程度とか、新鮮みたいな、さかなへんの漢字は生臭いから使わないとか、こういう言葉は差別的だから、傷つく人がいるから書いてはいけない。とか、どれも自分には眩しかったね。で、同僚の中には広告賞とか、文芸賞とか取っていた人たちもいて、勢いありましたね。私はどちらかというとイラストの方に一生懸命で、コピーには興味もなかったんだけど、褒められるのは、圧倒的にコピーが多かった。特にキャッチコピーは良く褒めてもらいました。それが、拙作【下品です。】の始まり。なんてね。いつもありがとう😊😊😊ございます🎶➕( ̄▽ ̄)あの頃より、今の方が書くのが楽しいかも。
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なるほど〜 そんな経験があったのですね。 人生は心身共に経験が支えてくれるのだなぁ!
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そうですね。あの頃の経験がなければ、たぶん今、書いてませんよね。
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