プロローグ……消えた優しさ

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 人間は本来、優しさを持って生まれてくるといつだか教科書で読んだことがある。  生まれてきたときは誰しもが善人。そこから育った環境により、善人と悪人に分かれるらしい。  スウェーデンの教科書に書かれているように、誰からも愛され、優しさに包まれて育った子どもは善人、殴られ、批難され、優しさを感じることのできない環境で育った子どもは悪人となるという説だ。  もし、この話が本当ならば、人間という生き物はどれだけ醜い環境で過ごしているんだろう。  毎日のようにテレビでは殺人事件や強盗、詐欺、虐待、強姦などが飽きることなく報道されるし、普通に生活していてもイジメや万引きの現場に出くわさずに過ごすことなんて不可能に等しく、先程の人間善人説を成り立たせるには、生後の環境が非常に悪いと言わざるを得ない。  しかし、その環境を創ったのは誰か? それは今の大人、人間だろう。もちろん全ての大人が悪人なわけではないが、もし全ての大人が善人なら、この説に従うと悪人が育つわけがないので、背理法より全て善人というわけでもないようだ。  さて、そうするとその大人の育った環境も悪かったことになる。なぜなら、そうじゃないと悪人が育たないからである。  しかし、その環境を創ったのは誰か? それはそのときの大人、人間だ。  そして、そのときの大人の育った環境は悪かったはずだ。なぜなら、そうじゃないと悪人が育たないからである。  こう考えていくと、ある矛盾に気づかされる。人間はいつから悪人なんだろうという、ニワトリとたまご どちらが先なのか論にである。  僕は、この答えを若干16歳の僕なりに考え出した。  人間が悪人になったとき。  それは、人間が知恵をもったときなのではないかと。  
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