茨の棺

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霞みだした空に手をかざして思う。  ―世界はこんなにも美しい 涙は数時間前にとっくに枯れてしまった。この脆弱な胸に残ったのはかすかな情熱とあらがいようのない虚無感だった。  ―なのにあの人はもういない 街には光が満ちている。それは誰のための道しるべなんだろう。少なくともこのちいさな情熱をやさしく導くことができるのは  ―あの人以外では、あり得なかった  空はとっくに白み始めている。街の明かりもそれに負けじと一層強く輝きだす。  ―なんて無様  結局私はあの人なしでは生きてはいけない。わかりきっていたことなのに、それはこのちいさな心に茨のようにひどくからみつき、乱れぱなしの呼吸を整えさせまいとする。それはきっとこの空に、あの街に煌々と陽の光が降り注いだって、変わらない。この空が、あの街が夜の闇に支配され、再び太陽に主権を譲り渡す、そんな営みが何日、何か月、何年と続いても私は茨の棘から逃れられない。  ―あの人の存在の証  それはきっとあの人の存在の証。私があの人と過ごし、私があの人を確かに愛したという証。この茨の養分は思い出。私とあの人の、淡く色づいていた十二の季節の思い出。  私という存在が消えてなくなるころ、きっと養分を失った茨も土に還るだろう。私の亡骸は、愛おしいあの人の亡骸に包まれて眠る。  ―それはこの世界よりもなによりも美しい最期  つうと涙が頬を伝う。とうに枯れ果てたと思っていた涙は私のまつ毛を濡らし、太陽の輝きを幻想的なものに変える。万華鏡のように世界は目まぐるしく変化し、その中でしか存在を許されない、人もまた、その在り方を変えていく。  ―ならば私は  ならば私は。  ―変わることのない永遠の茨の中で  覚めることのない永遠の夢の中で。  ―優しかったあの人と共に  優しかった十二の季節に抱かれて眠ろう。                                 二〇〇八年九月六日
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