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人生には、裏切りが必ず隠れている。
今まさに、目の前の出来事は『裏切り』としか言いようのない現実です。
外は未だ昔雨(むかしあめ)が降り続き、吉之助(きちのすけ)さんは失踪中。我が『時想屋(じそうや)』には、瓶詰めのネット注文が入り始めた頃でした。
「…ふざけていますか? 一矢(ひとや)さん」
たっぷり一分以上の沈黙の後、ようやく出た言葉に、掛けられた方は何故だか胸を張って。
「俺の全力だ」
髪を短く切り揃え、不精髭もすっきりさせた一矢さんは、昔と同じ爽やかな笑顔で続けた。
「リュウ、よーく思い出してみろ。じいさんは、俺に『昔雨』の瓶詰めを作らせたことがあったか?」
ん?
カウンターの向こうで、首を傾げてみせる妙に分別臭い物言いも、昔のままです。
とりあえず、つれづれと思い出してみます。
…。
……。
「ありませんね」
「だろう。俺には無理なんだよ」
さらりと言って、一矢さんは僕に背中を向ける。
僕は改めて、カウンターの上に置かれた小瓶の中を覗き込む。
一矢さんが入れたそれは、白く濁って、一面に何かが舞っていました。
「…舞っているのは、何なのでしょう…」
僕の呟きは、どうやら彼の耳に入ったようです。
「多分、灰、だろうさ」
二季(ふたき)のね。
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