帰宅後

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 塩が盛られていたはずの小皿に、水が入っていたのである。 「え…塩は?塩が入ってたはずだよね?」 「あぁ」  流石のプーも驚いたように、床まで広がった水を見ている。  冷蔵庫の下にまで入るくらい、水が溢れていた。 「これ…」  あたしがしゃがみ込み、お皿を持ち上げようとしたその時。 「触るな」  ピシリと厳しい声で、プーに止められた。 「でもちゃんと拭かないと…」 「いいから触るな」  彼はそう言って、首を横に振った。 「これ…何?」  あたしが尋ねると、プーは少し考えるような間を作り、それからこう言った。 「多分、塩が溶けたんだ」 「溶けた?」  確かに部屋は閉め切りで、すごい温度と湿気だった。 「それで溶けちゃったのかな…?」  あたしはそう呟いたが、プーは難しい顔をして 「…さぁ」 と言う。  彼は 「ここは俺が拭いとくから」 とだけ言って、それから雑巾を取り出して来た。 「あたしも手伝うよ」 と声を掛けたのだが、プーは 「いい」 と言う。  その後、彼は一人でキッチンの床に這いつくばり、黙って塩水を拭いていた。  あたしがキッチンを見た時は、もう新しい塩が小皿に盛ってあり、冷蔵庫のドアを守るように二つ、盛り塩が並べられていた。 「ねぇ、湿気で塩ってあんなに溶けるものなのかな」  あたしは気になってしつこく聞いたのだが、プーは 「…分からん」 と言うだけで、それ以上は何も言おうとしなかった。  実はプーが余りに何も教えてくれないので、あたしは後になってから、内緒で試して見たことがある。  夏、気温も湿度も高い日に、一週間、風のない暗い場所に盛り塩を置いてみたのだ。  室内に置いたことも、ベランダの日陰に置いたこともあるが、あれ以来、何をどうやってもお皿の塩が全部溶けて、水に変わると言うことは一度もなかった。 (塩が溶ける…)  それが余りに気になって、あたしはそれ以降、冷蔵庫の前の盛り塩を、気を付けて見るようになった。
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