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ママに糸杉のおじさんの話をしたのは、大きなまちがいでした。いつも何の本を読んでいるのかしらね、と言っただけなのに、ママと来たら怖い顔を近づけて、あのおじさんと口をきいてはいけませんよ、なんて言うのだもの。
「悪い人じゃないのに、どうして? いつもにこにこしているもの。きっと優しい人よ」
「いつもにこにこ、なんて気味が悪いわ。話しかけられても絶対に返事をしないこと。いいわね?」
「でも、ママ」
「分かったら返事は?」
ママは腰に手をあてて、ぐっと体をそらしました。本当に怒り出す前に、ママは必ずこうやって、口を真一文字に引き結んで私を見下ろします。この顔で見つめられると、私はもう、はいと頷くことしかできません。
「いい子ね、ミーシャ」
途端にママはおひさまのような笑顔で笑いました。
「夕食ができるまで、まだ時間があるわ。部屋へ上がって、今日の宿題を済ませてしまいなさい」
ぬれた手をエプロンで拭きながら、ママは急ぎ足でキッチンへ戻っていきました。チーズの焦げるいい匂いがします。自分の部屋へ入るやいなや、私はベッドへ鞄を放るより先に窓際へ駆け寄ってカーテンを開きました。私の家は公園から道路を挟んだだけの場所にあるので、遊びまわる友達の姿がよく見えるのです。糸杉のおじさんは、ベンチに姿勢よく腰かけたまま、膝に置いた本のページをめくりました。ついさっき見たときとまったく同じように。まるでおじさんの周りだけ、時間が止まっているかのようです。
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