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夏。
連日の茹(ウ)だるような暑さは今日も猛威を奮い、灼熱の太陽は朝から焦熱を振りまき続けていた。
恨めしいばかりに輝く日輪が没した夜になろうとも、その不快指数は一向に下がる気配など無く、この国特有の温暖湿潤な風が肌にまとわりつく。
俗に熱帯夜と呼ばれるその暑さは、この磯臭い港湾倉庫街にも分け隔て無く降り注ぎ、そこを歩く男の額に一筋の滴を生み出させた。
「ふぅ。こう暑くちゃかなわんな。早く中に入って、冷たいビールでも頂くとしよう。」
滴る汗をタオル地のハンカチで拭いつつ、白髪混じりの短髪に茶色いハットを乗せ直す。
男は目的を感じさせるハッキリとした足取りで磯の香りをかき分けて行くが、無地のワイシャツに茶色いスラックスといったそのいでたちは、この倉庫街では少し場違いに見受けられる。
それでも、夜の熱気を孕んだ潮風を受ける港湾作業員とは思えないその男は、一棟の倉庫の前でその脚を止めた。
それの外装はまったくの倉庫である。
しかし、それがただの倉庫ではないという事を、男は熟知しているようであった。
「これは立花様。ようこそいらっしゃいました。」
倉庫の前に二人の男が立っている。
その服装は、一言で言えば「黒ずくめ」。
上下のスーツは勿論、帽子やネクタイ、サングラスに至るまで、黒一色に揃えられているのである。
「いや、ご苦労さん。今日も暑いね。」
そんな映画のスクリーンを抜け出てきたような男たちに、茶色いハットの男は気さくに笑いかけた。
茶色いハットを脱ぎ去り、その白髪混じりの短髪を掻きながら、男は黒服たちが開け放った重厚なドアをくぐる。
するとそこは別世界。
まるでそのドアが、潮風漂う寂れた倉庫街と、目をみはるばかりの煌(キラ)びやかな内側とを繋ぐ、異次元の扉なのかと錯覚させられてしまう。
目を奪うのはその色彩。
赤。オレンジ。そしてゴールド。
赤はフロアを埋め尽くす毛足の長い絨毯の色であり、オレンジは広大な室内を灯す大小無数のシャンデリアの明かりであり、ゴールドは柱や壁さらには天井を彩る装飾画の色であった。
その色彩豊かな内部を満たすのは、外気温とは違う熱気を纏(マト)った人々。
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