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なんて皮肉なことだろう。
まさか、こんな形で人生を終えることになるだなんて…。
いや、本当はわかっていたんだ。
最初から。
あの日、あの月夜に、赤い蝶を見た瞬間からずっと。
風は凪いだ。
初夏の夜、草原に微かな虫の音が響く。
湿った土と青々しい草の香りが立ち込めて、私の素肌を冷やす。
あぁ、体温が消えて行くのは夜気のせいだけではない。
腹から大量の熱が溢れ出しているからだ。
指先に触れる鋼の色は、冷徹で白々と冷たい。
感じる。
風に煽られていた髪が力無く垂れ下がり、頼りなく頬を撫でている。
自分のつま先が地面を踏みしめ、踵がしっかりと体重を支えている。
膝に小石が食い込んで、少し痛い。
腹から流れ出すあたたかい生命は、ねっとりと下腹部を撫で、内腿をつたい、地についた膝から柔らかい土へと染み込んでいく。
自分の感覚が研ぎ澄まされているのが分かる。
それなのに、何故だろう。
体を貫通している長剣の存在を、今は、感じない。
ゆっくりと顔を上げる。
月明かりの中、海のように波打つ草原が目に入った。
濃紺の空の彼方には、貴婦人のように穏やかな山陰が佇んでいる。
大地のさざ波が聞こえる。
空気が再び流れ出したのだ。
剣の柄を握り直すと、やっと腹に異物感を感じた。
同時に襲ってきたものは、痛みを超え、激痛をも超えた、酷く苦痛な感覚だった。
雷が体を貫いたようでもあり、一斉に針が全身へ突き刺さったようでもあり、氷に押し潰されているようでもあり、炎をまとった蛇が内臓を喰い破っていくようでもあった。
遠退きかけた意識を無理矢理引き留める。
まだ、終わっていない。
私は獣のように空へ吼えながら、長剣の刃を自分の腹へねじ込んでいった。
全身から汗が吹き出し、髪を振り乱し、喚き、叫び、それでも、腕に力を込めていく。
やがて、刃先が地面に突き刺さった。
私は身をかがめ、最後の慟哭と共に体を刃の根元まで貫くと、柔らかい草の波に倒れ込んだ。
一層強い、土と草の香り、そして汚い私の血の臭いがした。
叫びすぎて裂けた喉から溢れた血が、気管に流れこんでむせた。
咳き込む度に、ウジ虫が全身を食い潰していくかのような、ざわざわとした苦痛の波が広がった。
でも、もうどうでもいい。
汗にまみれた体は冷え切っていて、自分の物ではないようだった。
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