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その頃江戸城では、最早がらんどうとなった城の御検めの為に、数名の役人達が城内を見回っていた。
これが天下人の居住していた場所とは思えぬほど、あちこち錆びれ、壁は所々崩れている。
表、中奥と見回った役人達は、次に将軍以外の男は入れなかったという大奥へ向かった。
大奥と中奥の境を仕切っていた『御錠口』と呼ばれる杉戸に役人達は手をかけ、勢い良く横に開いた。
役人達の目の前に最初に現れたのは、『御鈴廊下』と呼ばれた、将軍御成りの際に使われた長い廊下だった。
しかし、そんな廊下も今や埃が立ち込め、廊下の端に吊り下げられていた鈴もずれ落ちている。
役人達は何の躊躇いもなく、土足のまま、ずかずかと中へ入って行く。
江戸城大奥に人が足を踏み入れたのは、江戸城明け渡し以来の事である。
大奥内を見回りながら
「この御殿内の広さは如何ほどじゃ?」
筆頭役人の男が背に従える部下に訊ね始めた。
「はい。約6千3百坪あまりと伺っております」
「6千…!この本丸御殿の半分以上ではないか。徳川はおなごの為に、どれほど金を使っておったのやら。
中にあった品々やかつてお暮らしだった御夫人方は?」
「中にあった品々は全て別に移し、お暮らしであられたご夫人方は皆様、他に居を移されたと伺っております」
「左様か」
筆頭役人の男は素っ気なく言うと、廊下の中ほどで立ち止まり、横に広がる中庭を見つめた。
日々、庭師によって手入れされていた中庭も、今となっては池も濁り、草木は伸びほうだいである。
「まさかここが、あの華やかな大奥だったとは……最早、見る影もないのう」
男はかつて仕えていた徳川の主君達の面影を胸の内に残しつつ、寂寞の思いで呟いた。
「では…参るか」
「──はは」
役人は踵を返し、その場を後にしようと背を向けた。
───…
すると、役人の背は一瞬にして、緋色の打掛(うちかけ)を纏った、大奥女中・嶋沢の姿に変わった。
「これ、早う─!!」
嶋沢は後ろを振り返り、のろのろ荷物を運んでいる女中を怒鳴りつけた。
「申し訳ございません…!」
女中は嶋沢に謝りつつ、ズリを引きながら、いそいそと後ろを追う。
嶋沢はぷいと前に向き直ると再び歩き出した。
嶋沢が歩くその前には、あの華やかな大奥の御殿が広がっていたのである。
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