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『お嬢さん、僕は味方さ。斑尾君とレン君が動けないだろうと思って、迎えに来たんだよ。狂さんに鬼姫の事を教えたのも僕だからね』
簾が揺れた。
誰の手も触れていないのに、するすると巻き上がってその奥に人影が現れる。
人影はかなりくつろいで座しているようだ。
茜と視線が絡むと、相手はふわりと微笑む。
声の感触からしてまだ二十四、二十五ほどの男である。
漢民族が着る旗袍(チャンパオ)と薄紅色の着物が融合した奇抜な軽装。
その上にフード付きの黒羽織を着こなして座っている姿は、不思議にも彼に似合って見えた。首筋の辺りには芍薬らしき刺青がほんのりと浮かび上がっている。
『可愛らしいお嬢さん』
彼は身を乗り出して、茜に手を差し伸べた。
――おいで、と。
肩にかかるまで伸びた赤紫色の髪。
細面の白い、中性的な顔立ち。
すっきりとした奥二重に、ぽってりした赤い唇がきゅっと笑みの形に動いた。
花の香が漂う女形のような美青年だ。
「あ……」
おっとりと微笑むような眼差しに彼女は抗い難く、言葉をつぐんだ。
勢い込んでいた分、拍子抜けしてしまってあまり強気な態度に出られない。
耳をくすぐるような声音が続く。
『さぁ乗りなさい』
言いながら、青年は伸ばした手を茜の額にかざした。中指と人差し指をたてて、印を成す。
彼の双眸が淡く紅梅色の光を宿した。
その視線に縛られて、彼女は凍り付いた。
ふっと茜の瞳から警戒の色が抜け落ちる…。
彼がもう一度ゆっくりと命じると、茜は人形のようにのろのろと言われるがまま、牛車にむかって足を踏み出した。
意識を失ってる狂も牛車の中に運び終わると、彼は地上に降り立つ。
月は天空で移ろう。
『やっぱり来てみて正解だったね。こんな所を闇雲に何時間も歩き回って帰れるはずがない。僕の知る近道で帰ろうか』
彼はこの山がどんな所か知っていた。山を包囲する強い念、普通の人間ならば入れるはずのなかった場所なのだ。踏み込めば、方向を誤る。
霊気がある二人でも、気力体力を消耗してくたくたになったであろう。
うらうらと樹木の間から霧の帳が、ゆらぎたつ。
しゅう。しゅううう。
霧はあふれて、とろりとろりと地面も這い、すべてを呑み込んでいった。
しばらくすると、両脇に天をつくような杉の木が峙(ソバダ)つ山道に変わる。
蒼い月影が落ちて、ゆるやかな道を下れば、向こうには木立を透かして街の明かりが漏れて見えていた。そこには賑々しい生活の音が溢れていそうだ。
『残念だったね、鬼姫様……次はどう出てくるかな』
くすっと彼は笑う。
少なくとも、鬼姫が奏でる狂宴はこれで終わったのだ。
そして、これからどんな形で来るか、誰にも分からない――……。
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