過去という名の夢の中で

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恵まれている人間だった。 人並みの努力で人より遥か上を行くことができる出来のいい人間。要領もよく、頭脳明晰、運動神経も抜群で…誰を羨むでもなく、妬むでもなく、かといって過剰に驕ることもなかった子供時代。 両親の望むままに上を目指し、結果は当たり前のようについてきた…家は豪邸とも言えるそれで、社長を務める父親は殆ど家にいなかったが母がいたので寂しくはなかった。 父親が留守を多くする中、母は二人分の愛情を注いでくれた。彼女に誉められることがただ嬉しく、彼女の期待に応える事が己の全てになっていった。 そんな生活を送っていたある日、平凡な日常はたった一人の男の手によって壊されることになる。 最後まで俺を守ろうとした細い腕、引き離される母の手を必死に掴んで手にしたのは恋しい温もりではなく、彼女が大切にしていた指輪で。 焼けるような鋭い痛みを背中に負い、遠くなる母を見つめながら…掴んだ指輪だけは離すまいと握り締め…気付いた時には病室のベッドの上。 見舞いに来ない父親は母と時を同じく浚われたと聞いた時、俺は全てを無くしたことに気づかされた。 「呆気ないものだな…」 夢から覚めたベッドの上、病室のシーツと同じ白さに眉を顰めては溜め息を吐く。 幾度も繰り返す夢の中で俺はまた彼女を失う。 「…母さん」 片時も離したことのない右手の指輪に口づける。 「おはよう…母さん」 何度も何度も失えば失うほど恋しくなる。欲しくなる。 「さあ…始めようか」 そう、彼女を取り戻すまで…その代わりを盗み続けるのだろう。この俺は。 部屋に並べられた宝石やら美術品やらが無機質な輝きで俺を見下ろしていた。
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