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「ドビュッシー、ゴリウォーグのケークウォーク」
「分かった」
何の曲を言っても分かっている様子の彼。
鍵盤に指を乗せるとまもなく演奏は始まる。
愉快な曲。
テンポがよくて、小人が走って丘を駆け抜けるような…そんなイメージができる。
これは私の密かな目標。
リクエストをした時、いつか『その曲は知らない』と言わせてみたい。
そんな小さな意地悪な気持ちが私の中にはあった。
「…あっつい」
演奏を終えて、冷泉君は気だるそうに手で仰ぐ。
音楽室には冷房も暖房もない。
開けっ放しの窓からは生ぬるい風だけが時折入ってくる。
私の額にもうっすら汗が滲んでいる。
秋や春には過ごしやすいけれど、冬や夏には適していない。
ブラウスを握って胸元をパタパタさせる彼は何というのか、色っぽい。
女の人じゃないのに綺麗だ。
恥ずかしくて目を伏せた。
「帰ろうか」
その言葉で私は彼と一緒に音楽室を出た。
前より自信を持って隣を歩くことが出来るようになった。
見上げると無表情の冷泉君。
「何?どうかした?」
「えっ…と、何もない」
「…」
相変わらず、口数は多くない。
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