■塩田と奈津

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  大学生活は人生のモラトリアムである。 そんな言葉を聞いた、いや、見たことがあった。 しかし、モラトリアムと言うにはあまりにも俺は休み過ぎている。 五月、その日は雨だった。 激しくもなければ無視できる小雨でもない、まあ普通の雨がしとしとと音も立てずに降っている。 電車の中で揺られる俺の耳が雨音など捉えられるはずもなく、ドアの窓に筋を描く雨粒だけをぼうっと見ていた。 「おはよう」 と、そこで声をかけられる。 おはよう、と声だけで返した。 火曜日、8時13分。 岡野奈津と俺は、電車の中で会っていた。 「今日はちょっといつもと趣向を変えてみたの」 白いカーディガンにひざ下丈のフレアスカート、黒いタイツに紐なしブーツという、雨冷えする陽気に合わせたらしい格好をした岡野は、肩からかけていたトートバッグを身体の前にもってきてごそごそやりだす。 傘は白地に淡い水色の水玉が控えめに散らばっていた。 まあなんとも、こいつらしいといえばこいつらしい。 口数も少なく無表情気味で、小柄で華奢。 全体的に落ち付いているが、楚々というよりは地味なやつだ。 積極的に目立とうとするたちでもないので、多少失礼な表現をしてしまったところで気にはしないだろう。  
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