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大学生活は人生のモラトリアムである。
そんな言葉を聞いた、いや、見たことがあった。
しかし、モラトリアムと言うにはあまりにも俺は休み過ぎている。
五月、その日は雨だった。
激しくもなければ無視できる小雨でもない、まあ普通の雨がしとしとと音も立てずに降っている。
電車の中で揺られる俺の耳が雨音など捉えられるはずもなく、ドアの窓に筋を描く雨粒だけをぼうっと見ていた。
「おはよう」
と、そこで声をかけられる。
おはよう、と声だけで返した。
火曜日、8時13分。
岡野奈津と俺は、電車の中で会っていた。
「今日はちょっといつもと趣向を変えてみたの」
白いカーディガンにひざ下丈のフレアスカート、黒いタイツに紐なしブーツという、雨冷えする陽気に合わせたらしい格好をした岡野は、肩からかけていたトートバッグを身体の前にもってきてごそごそやりだす。
傘は白地に淡い水色の水玉が控えめに散らばっていた。
まあなんとも、こいつらしいといえばこいつらしい。
口数も少なく無表情気味で、小柄で華奢。
全体的に落ち付いているが、楚々というよりは地味なやつだ。
積極的に目立とうとするたちでもないので、多少失礼な表現をしてしまったところで気にはしないだろう。
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