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保健室を出てグラウンドに続く道を歩いていると、校舎の間を吹き抜けてきたビル風が耳元でビュウ、と唸りを上げて通り過ぎた。
「急に風が出て来たね」
隣を歩く椎名を見ると、困ったような表情でこちらの顔色を窺っているのに気付いた。
「なに」
「……せんせ、……怒ってますか?」
「怒ってないよ」
「ほんとに?」
探るような上目使いににっこり笑って、
「俺、大人だし、センセイだから。こんなことくらいで怒らないよ。
――ドSだけど」
「……」
「しかも真正」
「……」
椎名のあちゃー、という顔を尻目に、俺はさっさと先の角を左に折れた。
「あれ、……先生、どこ行くんですか」
戸惑う椎名に、足を止めてくるりと向き直る。
「がんばって1等賞取れたから、ご褒美。自販機でジュース買ってやる」
とたんに椎名の顔がぱっと明るくなる。
「おいで」
俺が本気で怒っているわけではないと分かったからか、椎名は嬉しそうに駆け寄ってきて、再び隣に並んだ。
「特別だから、みんなには内緒ね」
「はいっ」
「いい返事」
ぽん、と頭に手を置いて、そのままくしゃくしゃっと髪をかき混ぜると、キャッと小さな悲鳴が上がった。
「隙あり」
「も、もう……っ」
椎名は歩きながら口を尖らせ、指で丁寧に髪を梳いた。
やっと直したところに突風が吹き抜け、再び髪がもさっと乱れる。
「……」
堪えきれずクスクス笑うと、椎名は不満そうにこちらを見上げ、ぷいと目を逸らした。
「椎名」
「ハイ」
「自分こそ、このくらいで怒るなよ」
「怒ってません」
「嘘だ」
「ほんとです」
明らかにへそを曲げた横顔が可愛くて、もう少しだけからかってやろうかな、と口を開きかけた時、俺は視線の端に何かを捉えた。
「……ちょっと、ごめん」
立ち止まると、行きかけた椎名がきょとんとして振り返る。
「悪い。――先に行ってて」
「え」
「小銭入れ忘れた。すぐ取って来るから、自販機の前に集合。5分後」
「あ、……はい。わかりました」
何となく不思議そうな表情を残したままの椎名を先に行かせてから、俺は左手の校舎の陰に足を踏み入れた。
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