第二章 桶狭間の戦い

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第二章 桶狭間の戦い

三年の月日が流れ。源次郎が元服し、義元の一文字を頂き、今川義忠と名乗った。従兄弟の忠三郎も元服し、本多道忠と名乗り、兄たちは、川嶋満兼、岡部又兵衛、嶋五郎助と各名乗った。 「若殿、お父上様からの伝令が来ました。すぐに、駿府城に参れとの事です。」 「相い分かったと、父上に伝えてくれ」 1558年、5月1日。 義忠たちは、駿府城に着いた。大広間には、筆頭家老の泰能、飯尾乗連、朝比奈泰朝、井伊直盛、庵原忠胤、庵原之政、小笠原氏清、岡部元綱、松井宗親、三浦義就、由比正信、とその他のそうそうたるメンバーが集結して居た。 義忠は、上座のすぐ下の左に座り。 軍事評定が始まった。 「いよいよ、京の都に上洛する!泰能!」 義元は、筆頭家老の朝比奈泰能に声をかける。泰能は、すぐに理解し、話し始める。 「5日までに、各々の城に戻り、軍勢を率い、駿府城に集まり、3日後、先遣隊を出撃させる。先遣隊長は、井伊直盛殿に任す。残りの軍勢は、義元様、本隊として出撃致す。居残り、部隊は、氏真様、庵原忠胤殿、小笠原氏清殿を残す。 よいか?」 「ははっ」 家臣一同が、頭を下げた。 5月8日。 駿府城に今川義元の軍勢約、三万の軍勢が集まり、すでに、3日の休息済みである。 5月10日、今川義元の上洛の先遣隊の井伊直盛を駿府から出発させた。 5月12日、駿府城に八千の兵を氏真に預け、留守を任せる。 武田、北条の援軍各三千も含めた、二万五千の軍勢を率いて駿府城から出陣した。 今川義元、駿府発つの報は、すぐに織田信長の居城の清洲城に伝わった。 「殿、いかがしましすか?」 筆頭家老の林通勝が聞く。 「敵は、およそ、我が軍勢の約十倍じゃ、勝ち目がない。儂は、少し寝る」 そう言うと早いか、信長は、床に就いた。 数日後、今川軍は、軍勢を六手に分け、松平元康の一千は、すでに鵜殿長照の守る、大高城に兵糧を入れ、丸根砦の佐久間盛重の三百を攻撃中。 朝比奈泰朝の五千は、鷲津砦の織田信蕃の五百を攻撃。 岡部正綱の守る。鳴海城、三千の兵を囲むように、丹下の砦には、水野忠光の三百の兵。善照寺の砦には、佐久間信盛の五百の兵が守る。 中島砦には、梶川一秀の三百の兵が守る。 伊勢湾の近くには、葛山信貞が五千の兵 が、清洲城からの信長の本隊を阻む。 数刻後、今川義元は、桶狭間山に本陣を置く。その本陣に、丸根、鷲津の両砦が落ちたとの報告が入った。
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