城下の市場に行こう

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「賢者さまは、魔法を使わないで、出来るような事は、全部自力でやっています。それは、私も見習うようにしているの」 アルスは顎に手を当て、朝にウサギの賢者が言っていた、フィールドワークや自給自足の話も思い出しながら、"自力で"というリリィに感心します。 「そうだね、魔法で家事とかもやろうと思えば、賢者殿は出来なくはないもんね」 昨晩にしても、ウサギの賢者自らエプロンを身に着けて、料理を作ったりしていました。  「あのね、アルスくん。正直に言ってウサギの賢者さまの研究って、他の魔法を使う人達には、あまり賛成されていないみたい」 ほんの少しだけ、リリィは不安そうに呟いて、強気なのが第一印象なリリィだけに、アルスは大層驚くことになります。 ただ少女自身はそんなお兄さんの同僚の反応に気が付かない程緊張し、初めて人に話す内容に、とてもぎこちない様子になっていました。 「そうなの?」 取り敢えず、話を進める為にアルスは確認の言葉をかけると、小さく弱く、リリィが頷きました。 「軍を通さずに、何度か直接ウサギの賢者さまに意見するような手紙や、魔法の矢文が届いた事があったの。 賢者さまは、全く相手にしなかったけれど」 小さな同僚が、ウサギの賢者を心配しているのがアルスには伝わってきます。 アルスは不意に、上司のアルセン・パドリックが何か急な連絡を受けた際、形の良い眉を顰めている姿を思い出しました。  『強引に研究を進めるから』 口では大層怒っているように見えましたが、アルセンが浮かべる表情は"心配"そのものでした。 あの頃は何の意味かが解りませんでしたが、多分アルセンはウサギの賢者の事を言っていたのだろうと今のアルスなら考え及びます。 そして、リリィの表情(かお)は、あの時のアルセンと同じように、"心配"という表情を幼い顔一杯に広げていました。 「リリィ、もし応えられるなら教えて欲しいんだけど。ウサギの賢者殿の研究ってなんなの?」 その質問に少女がピタリと歩みを止め、綺麗な緑色の眼はアルスの方は見ずに、先に見えてきた城下の入り口の門を見つめ呟くように口にします。 「賢者さまは、特に隠しているわけじゃないから、アルスくんには、はっきり言うね。 "魔法がなくなった世界の在り方" この世界から、魔法を消す方法を賢者さまは、研究しているの」  リリィが再び歩き出し、アルスも慌てて、その後に続きます。 少女の柔らかな髪が印象的な、凛とした後ろ姿を眺めながらアルスは口を開きました。 「自分は魔法が不得手だからあまりピンと来ないんだけど、魔法で生活をしている人にとってはそれってかなり反発を買う研究になるよね?。 でも、今のこの世界で、魔法を無くす事なんて出来るのかな?」 スタスタと歩みを止めぬまま、リリィは振り返らずにアルスに向かって答えます。 「"ウサギの賢者"さまだから、周りの方々は色々言ってくるんだとわたしは、思います」 この国、最高峰の賢者で、自分自身に"禁術"をかけてしまえるような"知恵"と"実行力"を持つ存在だから。  "そんな非常識な事が出来るものか"と、笑い飛ばす事が誰も出来ずに、偉業な術を使いこなす賢者の動向を探っている。 しかも探ってくるのは、ごく一部のこの国の"お偉方"。 貴族や軍の中で"魔法を使える、使えない"で揉め事に近い確執は確かに起こっている。 大きな戦が終わって10数年、平民の間でも魔法が使えるもの使えない者で、格差が徐々に出てきているのも現実でした。 魔法が出来るものは"魔法が出来る"事に奢り、"魔法が使えない"者は卑屈になるという現象は、年々増えています。  だがそれは別の捉え方をすれば"人間の質"を、顕しているのにも等しい事でした。 魔法が使えない事を馬鹿にしない人はしないし、魔法を使えない事を恥じない人は恥じはしない。 リリィは魔法が使えなくても、体力があって荷物を運べるアルスを尊敬するし、魔法が使えないなら、使えないなりにやっていくしかないと心頭においていました。 アルスがふと気がつけば、いつの間にか街道を歩く人波みは増えていて、馬車が何台も2人を追い越して行きます。 「アルスくん。城下に着くよ」 丁度城下中央にある時計台の鐘が盛大に鳴り響き、市場を開始する時間を告げました。 門番の兵士が門の扉を開き、軍の音楽隊が盛大にファンファーレを鳴らします。 (昨日、出たばかりなのに、何だか違うように感じるなんて、不思議だなぁ) アルスは城門を見上げながら、少しだけ感慨にふけりました。   「さっ、アルスくん!早く行こう!」 リリィが気持ちを切り替えるように、アルスの手をパッと掴んで城門に向い走り出します。 「うわあっ、リリィ!ちょっと待ってよ!」 正しく引っ張られる姿で、1日ぶりに新人兵士は少女と共に城門を潜りました。 そしてアルスとリリィが城門に入ると同時に、門番の詰め所の来賓室に連絡が届けられます。 かつてリリィを助けた女騎士が、来賓室の椅子から立ち上がり、城門を走り抜けるように過ぎて行く少女と少年を見つめていました。 「"大戦の英雄・魔剣のアルセン"自慢の教え子、アルス・トラッドの護衛の腕前を、拝見させていただこう」 緩やかにそう語り、詰め所を出て行きました。
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