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「では、行きましょうか?」
「行く? 何処へ?」
私は顔を上げ、女性を見つめた。彼女は涙を流す私を、先程迄と同様に穏やかな笑みを浮かべて見ている。そして、優しくそう促したのだ。
しかし私には、行く場所等、何処にも無い。一体、彼女は何処に行こうと言うのだろう。
そんな疑念を抱きつつ、涙を拭うと、いつの間にか辺りには雪がちらついていた。その煌めく美しい結晶は、光を発しながら私の過去を映している。
冷たい風が頬を撫で、木の枝に残る葉を優しく揺らす。
とても幻想的な景色だった。
女性は道の先を指し示し、言った。
「皆さん、貴方を待たれています。誰も怒ってはおりません。ただ心配しているのです。さあ、もう舞台を降りる時間ですよ」
私は女性の示す先に視線を移し、そこにある人影を認めると、女性の顔へとその視線を戻した。
そこには紛れも無く、私の妻だった女性の顔があった。
私の目から、止め処なく涙が溢れ出す。
彼女を失ってから、私の人生はその幕引きの時を失っていた。何かに縋ろうとして、結局、そこには何も無い事に気づくのだ。
そんな事を繰り返し、今に至っていた。
私はこの先、どうすべきか、分からないでいたのだ。
もう私の人生は幕を閉じており、その舞台を降りなければならないというのに。
私は自身の才能に溺れ、周りを見てはいなかった。だが才能よりも、人が、彼女が、私を生かしてくれていたのだ。
芸は人也。
才能等関係ない。
どれだけ、そしてどのような形で人と関われるか。
私にはそれが欠けていた。
妻がそれを補ってくれていたのだ。それを今、やっと理解する事が出来た。
さあ、そろそろ私は舞台を降りよう。
妻に促されるまま私はベンチから立ち上がると、皆の待つ、光に溢れた場所へと、足を向けたのだった。
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