修羅の果て

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(発端) ピュア・フードでは発酵飼料の製造が主な仕事であったが、 かたわらで研究用として養豚も手掛けており4月に30kgの子豚を、40頭仕入れ飼育していた。 抗生物質も使わず順調に育った子豚達は7月末に出荷が済んで精肉の味も良く、 ブランド化の方向で関係者は検討していた、 処が、2回目の子豚たちが入荷し一月過ぎて平均体重40kgを越えた辺りから子豚たちが一向に育たない事に気が付いたのは新川だった、 彼女は環境問題に興味を示し社内で募集した平たく言えばゴミのトラックのドライバーを勝って出た 山下は細腕に似合わない仕事と思いながらも他に候補も無かった事からお願いする事になったが、 よくよく話してみると出身が北山大学の獣医学科であった為、 子豚達の健康管理も彼女に任せる事なった経緯があった、 事の重大性を感じたメディカルピアの夏井は熊本より発酵に使われる赤麹菌の開発者、 東大農学部出身の山本社長を呼び近隣の獣医師も呼びかけ原因を調査し始めた、 1週間が過ぎても一向に判明しないまま3週目に突入、 その間も子豚達は成豚160kgの1/4の平均体重40kgを保ったまま元気に豚舎の中で駆け回っていた、 病気と呼ぶには不自然な程元気な子豚達をみながらプロジェクトチームは相談の上、 青森の古川の母校である北山大学に発酵飼料のサンプルと途中で成長の止まった子豚を運び調査を依頼する事になった。 飼料サンプルと子豚を載せたトラックは山下と新川が運転、 不安を抱えながら一路、青森に向かった。
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