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1 ー日奈ー
店内に響くその音は、まるで決別の鐘のようだった。
目の前で泳ぐ手のひらが、今私の頬に強い力で熱を与えたとは思えないほど、小刻みに震えていた。
「日奈(ヒナ)っ、バカっ」
「日奈、なにして...。」
兄を庇い、母のビンタを受けた私を同じタイミングで呼ぶふたりが、
また、お互いが発した声に反応して睨み合う。
それは長くは続かず、
母が先に目を反らした。
「ごめんね...。」
テーブルの下に置いていたバッグや上着を掴み、私の横をすり抜けるように通りながら、母はやっと聞こえるような小さな呟きを残し、店を出ていった。
「ちょっと待てっ!」
母を追いかけようとする兄の腕を、出来るだけの力を込めて掴む。
「日奈...。」
兄の憐れむような、そして怒りの中に見える悲しそうな眼差しをみつめ、私は気持ちを引き締めた。
「いいの。ちゃんと納得しているから。」
それから、私もカバンやコートに手を伸ばした。
「私たちも、出よう。」
昼下がりの街中の喫茶店。
私たちのやり取りを、無遠慮に眺める他のお客や、迷惑そうな店員。
居たたまれなかった。
早くこの場を離れたくて、私は会計を済ます兄を待たずに店の外へ行く。
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