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「これから、どうなさるおつもりですか」 「考えていない」 「そうですか。成都に戻るのはおやめなさい。いや、私の予想では、指導者を失った巴蜀は不安定になります。東か、北に。私は天水(テンスイ)の白然(ハクゼン)様のお屋敷まで帰ろうと思っています。白然様がお亡くなりになったことで、いろいろとやらなければならないことがありますから。一緒にお帰りになられますか」 「天水か。いいや、やめておくよ」 なんとなく、帰りたくなかった。 父も兄も、姜維もいない。 自分にとって故郷でもなんでもない天水に帰り、彼らのいない生活を営むのは苦でしかなかった。 黒とともに暮らすのも辛い。 父のことを思い出してしまうから。 「そう言うと思いました。これからのことはご自分で決め、大切なものを見つけなさると良い。きっと白然様も姜維様も、そう考えておいでですよ」 慰めなのだろうか。 よくわからない。 ただぼんやりとしていた。 笑って応対したような気もする。 「漢中(カンチュウ)の西、山奥の深くには、集落がいくつも存在します。なかには羌胡(キョウコ)のものもあるようですし、面白いものが見られるかもしれません。生きやすいかと言われれば、ちょっと肯けませんが」 「羌胡か。なぜそんなことを知っている」 「私がその集落の出身だと申せば、信じますか」 黒は少しだけ懐かしんでいるようだった。 ほんとうのことなのだろうと思った。 「良いことを聞いたよ。ありがとう」 「参考程度にしてください。もうあなたを縛るものはなにもありません。自由に生き、自由に死にましょう。老いぼれにとってはそれが最高の幸せでございます。では、白知秋様、お達者で」 軽い足音が聞こえた。 振り返ると、黒はもういなかった。
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