その1:人柄

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容赦無く吹き付ける北風に堪えれなくて 自販機で缶珈琲を買って暖を取る。 引っ越す事を決意したのは去年の夏、 思い立ったら直ぐ行動の性格が仇となり 思い出の品々を含めて冬服やら手袋やら マフラーまで一括で捨てた事を今更に なって後悔していた。 引っ越し先なんてもっと早く決まると 思っていたけど職の壁に阻まれ、 季節どころか年も越してしまった。 (あの日も……寒かったな……) 今はもう遠い日の思い出となった過去を 振り返り、来た事もない場所で面影に 身を寄せる。 (幸せだと笑ってるだろうか……) 思い出の自分達の背を見送ると後を追い かける様に小学生達が凧を手に走る。 折角暖かそうなコートを着ているのに 短パンで外に出れるのは彼等の特権と 言うべきだな。 晴れているとは言え視界に映るだけで 身震いを起こした。 今まで居た場所から少し離れただけで 見慣れない光景の数々。まるで別世界に 来た気分だ。世間様からビルの森なんて 言われた場所から電車で約30分、 総合病院は無く、小さな診療所までは 10分程歩いた場所にあり、コンビニは 目と鼻の先。そんな素晴らしい条件を 満たした築50年木造建ての古家。 猫の世話さえすれば家賃23,000円也。 正直な話、都心から30分離れても 家賃8万は覚悟していた。光熱費を 考えると収入は15万ないとキツい。 だけど俺は運命的に見つけてしまった。 不動産の人は止めた方が良いと言って いたが、強引に押しきって判を付き、 腰が少し曲がった白髪の老人が営む このカスミ荘でお世話になる事になった。 不動産の人に渋々頂いた地図を便りに 辿り着いた俺は土産を手に管理人の所へ 行き挨拶をして鍵を貰った。 過去の自分と決別し生まれ変わる決意を 胸に秘め、柄にもなく描いた薔薇色の 新生活に心を踊らせた。 ルンルンで、ちょっとスキップなんて しちゃってみながら部屋に行き、 扉を開けると…… 「はぁ!?」 畳が敷かれている部屋の真ん中で 人が寝ていた。 「大屋さん!!!なんか僕の部屋で 人が寝てんだけど!!」 思わず俺は走った。 いや、誰でも走りたくなるだろう。 鍵は今日貰ったばっかりで明らか 不法侵入。 管理室に勢いよく入ると、管理人さんは 俺にお茶を勧めながら笑ってて、 「あれがうちの猫じゃ。 世話を頼んだぞ」 自分用に煎れてあったであろうお茶を 啜りながら呑気にさらりと言い放つ。
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