月、満ち満ちて

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月、満ち満ちて、黒波に走る光の道を、小舟が突き進む。  崖から大海原を見下ろす、女中姿の男は、夜風に舞う後れ毛をなでつけ、懐をそっと抑えた。闇夜に紛らわす言葉も見つからず、男は、たもとをひるがえして踵を返した。  この島において、淡い恋心は気の迷いであり、愛はまやかしでしかない。  何度も何度も、胸の内で繰り返せども、屋敷へ向かう足取りは、ただただ重くなるばかり――。  *** 「旦那様」  ふすま越しに、声をかける。ややあって、 「獅ノ介か。入れ」  若き島主の、いつもと変わらない静かな声色に、詰め物の奥が締め付けられる。助けてと泣きついてくれたらどんなに楽だろう。嫌だとわめいてくれたらどんなに楽だろう。  そうしたらば、「駄目だ」と言い捨て、自分が悪者になれるのに。 「失礼いたします」  どうにかならないかと泣きついてきた鷹遠に、一心不乱にわめく虎ノ介に、「駄目だ」と言い捨て、悪者になったのは、縁側で月を仰ぐ、まだ十八の島主に他ならない。  青白い月明かりが陶器のような肌を撫で、海からやってきた夜風が髪を揺らす。獅ノ介は思わず息をのんだ。一切の表情が失せた美しい横顔が、すべてを物語っていた。 「零くん……」 「今宵は、見事な月だ」  吐息のような呟きは、しずしずと闇に染み入って、永遠に消える。 「美智子ちゃん、出立したよ」 「そうか」 「鳶丸をつけた」 「鳶丸?」 「四ッ倉の三男坊だよ」 「ああ、しのくんの手籠めか」 「手籠めって……」 「なら安心だね」零がいつかのように微笑んだ。「美智子が望むそのときまで、美智子は美智子の望むままに生きられる」
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