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結局はこれと言った余談もなくて、翌日紫陽花凛からお礼を言われたわけでもなく、これをきっかけに話すようになったわけでもなかった。
しいて言うならば、それから数日鼻を中心とした症状の風邪に見舞われたことくらいだ。
僕と紫陽花凛の間にあった出来事はこれだけ。
彼女は相変わらずの態度で学校生活を送り続けた。
かく言う僕も特別変わったことはなくて、高校生最後の年はあっという間に過ぎていた。
この感情が、『好き』であるかなんて誰にもわからない。
もちろん僕自身にも。
エルヴィン・シュレーディンガーの確率解釈がそれを示している。
つまり、本当にそれが『好き』なのか『好きではない』のかを証明する方法は、この世界には存在しないのだ。
付き合ったとしても、結婚したとしても、それが『好き』である証拠にはならない。
もちろん『好きではない』証しにもなりはしない。
なぜなら、『好き』でなかったとしてもそれは可能だからだ。
『好き』と『好きではない』の間にはいくつもの可能性が存在している。
僕の場合は、『彼女のことをもっと知りたい』と言う可能性の一つに過ぎなかった。
きっと他にも『手を繋ぎたい』、『キスがしたい』、『セックスがしたい』などの様々な可能性が考えられる。
だから僕はこの時、たぶん『好き』と『好きではない』の中間くらいに位置した最も複雑な感情だったのだろう。
『恋愛感情』=『好き』+『好きではない』であり、つまりこの重なりあった状態が、人の言う『恋心』なるものである。
そう、こんなことばかり考えているから恋愛ができないのだ。
言うまでもなく僕はウィグナーではなくシュレーディンガー派の人間。
だがエルヴィン・シュレーディンガーも、いくら量子力学の研究だからと言って猫が生きている、死んでいる、なんて内容にしなくてもよかっただろうに。
恋愛として例えれば、きっと多くの人間が興味を持ってくれた。
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