第三章 大空からの使者

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第三章 大空からの使者

 ついにジブチからの、異動の命令が下った。砂漠なんてくそ食らえ!  白色のケピ帽をかぶり、ブーダン(青の腹巻きだな)をつけ、FA-MAS(いつもの小銃)を手にして整列する姿は、一年近く前にやってきた時には考えられない位に、堂々としている。小隊長が(まだ居たんだ)壇上で、何か長ったらしい演説を行っているが、勉強の甲斐あって、大体意味が分かるようになっていた。要約しよう、コルシカにバカンスに出掛けるそうだ。  地中海に浮かぶ、コルシカ島。あのナポレオンが過ごした場所であり、我等が外人部隊の、第2落下傘連隊が司令部を置いている。そして小隊はその連隊内、第8中隊に所属を移すことになったそうだ。何が変わるかと言えば、特に変わることはない。小隊長が新しい上司に、不安を覚える程度だ。こちとら、ようやく人が住めるところに戻れて、感謝の涙が出そうなくらいである。  グダグダ言わずに、さっさとチョッパーに乗り込むべし。心なしか仲間の足取りが、やけに軽やかである。きっと今なら、大抵のことが許せるだろう。  ややしばらく空の旅を行い、外を見ると、色が綺麗な海があるじゃありませんか! 意味もなく、周りとと目を合わせては、にやけてしまう。きっと奇妙というか、異様な雰囲気だろなぁ。  島は身長百八十センチ余りに、体重八十キロ程度あるも、全体でいえば平均より少し大きめ位でしかない。そんな大男達がニヤニヤしてるのだから、不気味である。  実は数ヶ月前だが昇進した。島一等兵である。入隊して一年たてば、大抵はなるんだけどさ。給料も増えたし後輩も出来たし、何だか調子も出て来るものだ。しかも砂漠の現地手当て(駐屯手当てや危険手当てなど)が結構たまったもので、これだけでも節約したら、一年は暮らせるかもしれない。使う場所が無いのは、実に効果的かつ強制的に貯蓄されるようだ。  爆音を響かせて、ついにコルシカへ降り立った。爽やかな潮風が鼻をかすめてゆく。  ――ああ、これだけでも幸せだ。  早速小隊長が司令部へと消えたため、我々は軍曹の指示でジープへと分乗する。特に詳細は口にしないが、宛てがわれた訓練場所へと向かうのだろう。忘れていたことがある、奴は殺意の対象ですらあったという事実を。  ジープで十分程海辺を走りついた先は、砂が綺麗な浜辺である。あたりには人影がなく、住民がいるのかいないのか、だいぶ先に建物が見えるだけである。奴はこんな台詞を吐いた「よし泳げ」誰しもがその先に、まだ言葉が続くのを察知していた。「基地まで」と言ってから、ジープの運転席に伍長が座る。つまりは伍長以上しかジープに乗らないことを意味し、ファッキンサージは北を指して、あっちの方角だと大雑把に示した。  波は低く海は冷たくは無かったが、一時間以上の遠泳にぐったりさせられ、初日の浮ついた空気が、一気に消え去ったのは事実である。絶対にネーちゃんがいるビーチを外して、車を走らせただろうことが、悔しい若者達であった。  意外や意外、ここに配属されてる外人部隊は、エリートらしい。仲間内で、またすぐに異動なるのかと話をしていたら、会議室へと小隊招集がかけられた。そこには恐れ多くも、第4中隊所属の下士官が詰めていた。  敬礼し後ろに座ると、略綬や記章をたくさん胸につけた大尉が、我等が小隊長の中尉を引き連れて入室する。一斉に起立し敬礼、大尉が仕草で座るようにと促す。  この第4中隊、爆破やら破壊の専門家集団で、中でも大尉直轄の夜間戦闘小隊は、フランス軍全ての中でも、最強と揶揄される強者である。当然落下傘連隊にいるわけだから、空挺も可能だ。そのトップである大尉が目の前にいる、ファンになりそうだ。  どうやらジブチ集団は、砂漠戦の専門家として扱われているらしい。第6中隊までしかなかったのを、新たに二個増設する計画で、イランやイラク、アラブ諸国での緊急展開の尖兵となる。  ――すると第7中隊は、何が専門なんだろうか。  愛しの大尉が、中尉と共に退場すると、第4中隊の先任曹長が、パラシュート訓練について説明を始めた。うちの軍曹を――あいつパラシュート記章つけてやがる――チラッと見ると、黙って聞き入っている。訓練引き継ぎの言葉を受けて、教導する伍長や上等兵が、二人に一人あてがわれる。まずは地上で、お立ち台から砂場にダイヴすることから始めた。断言しよう、効果は無い。  冗談だよと笑うこともなく、パラシュート一式を渡される。まずはこれを身に着けてみる。教官におんぶにだっこで装着! 案外動きやすいことを確認する。  すぐにそれを外すと分解組立を行う、これは全てに対しての基本であり、その構造を知る上で、必須のプロセスと言える。綺麗に畳まないと、空中で開傘しないぞと脅され、やたらと丁寧にやると遅いと怒鳴られる。  早速降下をするぞと、待ったなしで航空機に半数が乗せられる。タンデム降下と言われるもので、前に生徒で後ろに教官が括り付けられ、一緒になって降下するものだ。人によっては空中で気絶するものがあり、訓練で克服出来ないと判断されたら、イタリア行きの船に乗せられ、オーバーニュ(フランス)行きの列車切符を握らされる。ハッチが開き、一秒毎に一組が飛び出す。怖じ気づく者がいても、教官と共に空の旅だ。  次々と落下傘が開き、ゆらゆらと地上へと降りてゆく。着地ではかなりの衝撃があったが、無事に地上に降り立った。訓練なので、すぐにパラシュートを回収して集合する。案外簡単だな、との感想が大勢を占めた。しかし降下は最初の一回か二回が安全で、繰り返す毎に事故が増えると教えられた。  合計六回の降下訓練で、空挺記章がいただける手筈の様子。追々そちらは手に入れられるだろう。  さて、人間が、特に男が集まる場所には、必ずあの商売がある。コルシカの気質は排他的であり、治安が悪い箇所は、全てマフィアの縄張りである。当然のようにあの商売の元締めは、マフィアがしており、ここから情報が漏れないようにと厳命された。だけど悲しいかな、言葉が通じたばかりに、大なり小なり必ず情報は漏れてゆく。  軍とは社会である。ピラミッドの頂点が色に染まれば、下まで一直線に色が変わる。そんなわけでサービス週間の業務内容は、基地司令官大佐の自宅警備員だ。激しく聞こえが悪い呼び名ではあるが、大佐夫人は若くて美人だ。だから気にしない。  高さ三メートルはあろうかとの塀に、鉄格子の門があり、その左右に立哨用のスペースが、防弾ガラスに囲まれて置かれている。門のすぐ内側には、警備員の休憩屋が独立しており、ここで茶を啜ったりテレビをみたりして交替に備える。 このサービスは楽だ! 拳を握り締めて、心の中でガッツポーズをキメる。  時折夫人が、ケーキと紅茶なんて出してくれた日には、ついうっかり忠誠を誓ってしまおうとすらしてしまった。いかんいかん軍に忠誠を……まあいいか。  世間には誘拐ビジネスなるものが存在している。中でも直接的に要人を誘拐するのではなく、その家族を狙うのが主流となっているそうだ。大佐の娘イザベルちゃん八歳。いつも兵が運転する車で、登下校している。もしマフィアが彼女を誘拐したならば、きっと大佐は戦争を始めるだろう。そして部隊は黙って命令に従い、マフィアを殲滅する、それがわかっているのだろう、誘拐の気配はない。軍曹誘拐されてくれないかなぁ。  そんなことがあったりなかったり、砂漠から解放されて気持ちが穏やかになったのだろうか、基地での評価は、短気な奴らが少ない小隊だと受け止められたらしい。狙撃中隊からも注目されている。狙撃兵は感情の起伏が少なく、我慢強い者が向いているからである。誰一人引き抜かれたわけではないが、心なしか軍曹の機嫌が良かったような気がした。  自身の小隊が、少し高い評価を受けたのが嬉しかったのだろうか、軍曹がハイキングに出掛けるぞ、と皆を集めた。だがフル装備による出撃に、新たなアイテムが加わった。軍用シャベル~、ドラ何某のように、それを頭の中で呟き背嚢に装着する。うーむ、最近のハイキングには、シャベルが欠かせないのか。この軍用シャベル、実は第二次世界大戦で、かなりの実績を持っている。それは穴を掘るだけでなく、敵を突き刺すという用途に於いて、である。  何だかんだで小隊は、なだらかな丘陵地にやってきた。行軍を停止して休むかと思いきや「ここに築城を行う!」とのことだ。  早速伍長の命令で、防衛に使えそうな場所の選定が始まる。巨大な岩がいくつか散見出来る部分に、陣取ることにした。一、二班が塹壕を掘り下げ、岩同士を結ぶラインを構築する。三、四、五班が樹木を切り出し、柵を製作した。なるほど砂漠では出来ない訓練だ! ジグザグで二重、三重の塹壕線と、一部が可動の柵が出来上がり、一応の完成が見られた。  お偉い軍曹様の、査察が行われる。場所選びをするのは、将校や下士官であるため、兵らが選んだ場所にはなんら指摘はなかった。その場所に適しているかがチェックポイントらしい。  最初に指摘されたのは、塹壕の深さであった。浅い、浅すぎるとお叱りをいただいた。だって掘るの大変じゃん。そして塹壕には、上下の階段のような差をつけろと言われた。つまり上段は歩いたり、実際に利用したりする足場で、下段は排水などの用途であると。雨が降ったら確かに必要になる。  次に指摘されたのは、銃眼である。長い対陣となれば、銃を手にしているだけで疲労する。そのため、銃をセットして負担にならないように、置き場を作れとの話である。そして極めつけは無茶ぶりもよいところ、退避場所を設けよ、だった。手榴弾や直撃砲弾でも生き残れるように、数カ所に逃げ込める場所を作るのは、常識だと言われた。  散々あと出しジャンケンじみたことを言われ、再度の土木工事を行った。必死に手を加えると、なる程それらしくなったものである。ある士官が言ったらしい「歩兵とは行、軍と掘削が出来て一人前」だと。じゃあ今までの訓練はなんだったんだ、とツッコミながら塹壕を横目に、バーベキューを楽しむことにした。  散兵壕を作った後には、個人用のタコツボを掘るように命じられた。ここでも二段にするように広く掘削すると、すぐさまチェックが入った。タコツボでは、下段は深く狭く掘れと怒鳴られた。つまり下段は筒状の穴を掘れと。手榴弾が転がり落ちたら、爆風が真上だけに向かい、死傷の度合いがましになる。  果たしてこの軍曹は、何故こんなにも色々と知っているのだろうか。軍歴も十数年となれば、自然と身に付くものと言われたら、ああそうかと納得するしかない。  ヒヨッコ達が一連の訓練を終えて、落下傘記章を佩用するようになると、軍曹がチラリと漏らした。「山登りでもするか」それがピクニックなわけがなく、憂鬱な食事を済ませると、夕刻に会議室へ集まるように命じられた。そこには第2中隊の下士官らが詰めていた。彼らの専門が山岳戦と知っていた隊員は、一様に内心でため息をついたのが表情から窺えた。  砂漠専門小隊に、雪山登山の訓練メニューがあるとは、予想しなかった。てっきりコルシカで登山かと思いきや、「ピレネーは好きか?」そう尋ねた軍曹に、ハイと答える自分がいた。  列車を乗り継ぎ現地に到着すると、輸送車に装備を積んだ支援員が、車ごとそれを引き渡す。崖を登攀したりするわけでなく、雪中行軍を目的としていると説明されて、ほっとした。だがそれがどれだけ厳しいものになるか、正確に予測していたのは軍曹だけであった。  各種装備に防寒具を装着し、最後にレッドペッパーを渡された。これをどうするか尋ねたところ、二重履きした靴下のつま先に、振りかけておけと言われた。凍傷の予防に効果的で、つま先の血行を増進するらしい。本当に知らないことが多々あるものだと感心しながら、秋の山に向けて一歩を踏み出すのであった。  大変だ、寒い! そんなに重装備いらないよ、と笑いながら進んだはずなのに、いざ山中にくると話が違う。ガクガク震えながら進むと、あたりが白くなってきた。情けないやつらだと言わんばかりに、軍曹が鼻をならす。  一行はいわゆるベースキャンプと呼ばれるような小屋に入り、そこで体をならすために一日滞在することになった。その間は激しい運動を禁止され、代わりに技術講座が開かれた。各自が得意としている知識を披露する。誰しもが、吸収したら自分のものとばかりに、貪欲に聞き入る。講義をする側は、改めて自らの知識を確認することにより、さらに確実なものとしていった。  島の番がきて、何を話そうかと悩む。軍事に関わりがあってもなくてもよいが、どうせなら生き延びる術を絡めた方がよい。そこで日本の旧時代にあった、奇襲の話をすることにした。  その昔みた歴史コラムより。  時代は百年以上前のこと、幕府軍と新政府軍が武力により、政権を争っていた時のことである。  主力である艦船に火力で劣り、制海権を奪われていた幕府軍が、奇策を打ち出した。それは新政府軍が保有する、主力艦船を強奪しようとする案であった。失敗の可能性が極めて高いも、成功したら立場が逆転するとあり、起死回生の一手としてこれを採用した。  奇襲部隊が集められ、作戦を明かされて驚いた。何と接舷して、切り込み隊を突入させる、とのことである。甲板の高さが近い艦船を選び、深夜払暁に湾内にある艦船に忍び寄る。最初は外国の旗を掲げ入港し、いざ戦闘の直前に、日本国旗を掲げ直した。これは戦時国際法上適当とされているため、ギリギリまで注意したほうがよい。  ここで不測の事態が発生した。給油や積み込みの具合により、甲板の位置にかなりの差が出来てしまったのだ。攻撃側が手間取りながら乗り移るが、周辺から増援がやってきてしまい、ついに不首尾に終わってしまった。  昔話より。 「その接舷攻撃を、フランスではアボルダージュと言う」軍曹がそう付け加えた、英語ではボーディングだとも。どうやらフランス海軍にもある戦法らしいが、珍しい行為のようだ。遠く離れた日本でもそれを実行していたことに、素直に賞賛するとともに改善点を述べた。  この失敗の場合は、間違いなく乗り移る時の遅滞である。喫水が上下するのは当たり前で、事前にそれに気付けなかった、作戦立案者の責務が大である。次に現場の指揮官が、簡単な解決法――例えば帆を使い引っ掛かりを作れば、上り下りの足場に充分機能するなどの、発案を出来なかった責務がある。この二点が改善されていたら、違った結果になっていたかも知れない。  そこから話を膨らませて、高低差がある時に解消をする方法で、応用してみる。市街戦で建物三階や屋上あたりから、地上に降りる方法を考えてみた。真っ先に使えそうなのはカーテンで、それに切れ目を入れたり結んだり、何か引っかかりを作り下に垂らす、半分も高さを無くしたら、無事に降りられるだろう。咄嗟にそうなった時、一度このように考えを整理してあれば、簡単に思い出せるようになる。 心構えというやつだろう。  早く彼女を作って幸せな生活をする、そのための心構えはずっとしているのだが、いつになったらそれが役に立つのか、全く不明な島、二十二歳の秋である。  雪山の行軍で、一番体力が必要なのは、先頭である。後続の為に、わざと雪に足を寄せながら、歩かねばならないからだ。雪上を歩くならば、スキーの類が有効である。  若く体力があっても、二等兵を先頭にするわけにはいかず、咄嗟の判断が可能な上等兵を先行させる。ジャングル等での偵察で言う、ポイントマンである。  少し間を置いて、班が一列縦隊で続く。軍曹を中心からやや後方に置き、最後尾もまた上等兵が務めた。先頭と最後尾に強兵を配置し、中心に指揮者を据えるのは、規模が変わってもさほど違わない。  どのくらい歩いただろうか、思い出したかのように、軍曹がシャベルを組み立てるように命令する。雪洞を作り休息に備えるようだ。土を掘り返すのに比べたら、楽なことこの上ない。  適当に横穴を作ると、軍曹様にチェックを入れられる。出入り口は小さくなるようにしないと、風が吹き込むぞと怒鳴られた、更には天井に一本穴をあけることにより、煙が抜ける道を用意しておけとのお達しである。だから会議のときに教えてよ。そう思っても、決して口に出さないで過ごすのが良い、信じて疑わない隊員達であった。  手持ちの水筒に水は入っている、しかしそれを温存し、雪を暖めて利用した。古くなり捨てる以外、可能な限り面倒ではあっても、携帯中の物を消費するな、これである。同じように背嚢に物があるならば、腰に下げているのを使わずに、一々背嚢から取り出して消費する。いつ装備を喪うかわからないので、常に手放し易い状態の品から使うように、厳しく命令されていた。  たった一度の面倒に負けたため、非常時に苦しい思いをした者が言うだけに、やけに迫力があった。食料や医薬品ならまだしも、水だけは絶対に注意するよう、何度も繰り返し注意をする。人は水を絶たれるのが、一番すぐに堪えるものなのだと。  冬、しかしコルシカはさほど寒いとは思えない。薄手の上着があれば、それで解決する。  今回のサービス週間は、基地内の清掃である。はっきりとツマラナイと言っておこう。整理整頓は軍務でもある、清潔に保つのは体調管理などにも通じるため、これまた皆が意識している。だからといって、やることが無いかと言われたらそれは違う。雑務とはどこからか沸いてくるらしく、いつも終わりが見えない。時折自分の役割が、何かを考えてしまったりすらした。  仕事が楽しいわけがないと、頭を切り替えて、次なる訓練のことを考えてみる。不足はあるだろうけど、一通りはやったような気がする。契約期間はあと一年半、国のみんなは自分のことを忘れてしまったのではないだろうかと、一人廊下の片隅で物思いに耽るのであった。
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