3095人が本棚に入れています
本棚に追加
/1312ページ
_ _ _ _ _
∴ ∴ ∴ ∴ ∴
五月の終わりも押し迫って来た頃になり、梅雨らしい天候がここ数日の間続いていた。
寺町…塩屋。
日頃から良くしてくれるこの常宿の主人兵助に、栄太は一通の文を預けた。
脱藩した折り、江戸で奉公していた妻木の名が記させれている文は、江戸で再会出来ない事を詫びる内容だろうか…。
部屋から出る兵助に頷き微笑み、閉まる襖から視線を開け放たれた窓へと向ける。
そのまま窓に歩み寄り、腰よりも低い窓枠に座った。
着流しの裾を少し割り、ダラリと窓枠に背中も預ける。
そして…
ザーザーと強い雨音に耳を傾け、二階から見える雨に霞む情景を只…ジッと見つめていた。
無意識にか、髪結い紐を指で弄びながら。
「……あの日も…こんな降り方だったな」
呟きを落とした栄太は、指を紐から離し、ス…と長い腕を外へと伸ばす。
二の腕から先、掌と前腕に降り掛かる雨粒は大きく、だがあの日よりも冷たく無い事に…笑みを浮かべた。
「五月雨の雨はこれ位の温かさが丁度良い。…そう、思いませんか?」
その雨の感触を楽しむ様に腕を伸ばし続ける。
ふと思い付いた顔をした栄太は、広げていた指を閉じ、掌で皿を作ると雨をそれに受けた。
瞬く間に水溜まりが出来た掌を引き寄せ、濁りの無い揺れる水面を見る。
少しずつ、指の隙間から流れ出る水。
それが無くなる間際にまた腕を伸ばし、溜める…を何度か繰り返していた。
と、
バタバタと、雨音とは違う音が聞こえて来て僅かに顔をしかめる。
スパンッ!
「先生!宮部さんっちゅう人が入京したらしいんじゃが」
最初のコメントを投稿しよう!