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 江戸に戻った新撰組であったが、これと言ったお役目が言い渡されるでは無く、この先の不安を抱えながらも休息を楽しんでいた。  一は総司らと共に松本の診療を受けたが、元より掠り傷程度の物で、直ぐに宿舎となっていた釜屋に戻った。  役目が無いとなれば、日頃の鍛錬の他に此れと言ってする事は無い。  時間が空けば自然と相生を思い出す。  一は漸く落ち着いて相生に文を書いた。  江戸に居る事、無事である事、そして何より相生に逢いたいと認めた。  そして返事は品川寺門前の旅宿・釜屋に送るようにと書いた。  当分は此処を動く事は無いと思われた。もし動いたとしても、釜屋の主人に多少の銭を渡し頼んでおけば、当分の間は連絡がつく。  相生と別れ、既に一月半が立つ一月十七日の事だった。  一は銭に糸目をつけず四日限仕立飛脚をしたて相生に文を出した。  飛脚問屋を出た一は四日後には相生に文が届くと、口元を綻ばせた。  また文には四日限仕立飛脚を相生に仕立てるように記し、その費用の四両もつけた。  遅くとも十日もあれば相生の返事が届く。  足取り軽く一は釜屋へと戻った。  二十日になって新撰組は、鍛冶橋大名小路の元秋月右京亮種樹の屋敷を屯所として与えられた。  次の日一は実家へと顔を出す。前に帰ったのは慶応元年の春であった。  あれから四年程の月日が流れていた。 「ただいま戻りました」  一の声が山口家の玄関に響く。パタパタと音を立てて近付いた足音がピタリと止まると、クシャクシャに歪んだ顔の母・ますが姿を現した。 「一・・・ 貴方と言う子は、何時も突然なのですから・・・  ・・・お帰りなさい」  唇を震わせ泣きださんばかりのますを見れば、如何に心配をかけて居たかが分かる。  あれだけの戦闘があったのだ、会津藩士の家に仲間奉公に行っている父・祐助の耳に、戦況が入って居ても不思議では無かった。 「母上、気苦労を掛けました」  母の愛情を前に、それしか言葉の出ない一だった。
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