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夜明けのコウモリは金色で、透き通って朝日に消えた。まるで日光に溶けるかのように。
朝の眩しい光にきらめく金色は、彼らの翼から散った粒。いわゆる一つの忘れ形見。
朝日は金の光の粒を纏って、誇らし顔で、はるか高みへ昇っていく。
草木は光の粒を食べて、ぽろりほろりと涙をこぼす。そいつがしたたり朝露になる。
夜になると影の中から、夜明けのコウモリの赤子たちが顔を出す。母も父もいないのに生まれるその子らは、影に溶け込む闇色をしている。影の皮が張り付いているから。
草木がその誕生を喜んで、ほろりぽろりと涙を流す。そいつがしたたり夜露になる。赤子は夜露を乳がわりに育つ。同時に月と星々の光を、肌から吸って溜め込んでいく。
月だけの夜でも星だけの夜でも育つ。必ずしも、両方の光がいるというわけではないらしい。でも月も星もない時には育たない。どちらか一方の光は必要だ。
育たなかった子供は目を閉じて、影に潜んで次の夜を待つ。光ある夜を。
育った子供はやがて飛び立つ。朝日が昇る前、蒼い闇の中に。 最初は闇の色をしてる。影の皮が張り付いたままだから。けれど飛び回っているうちに、だんだん金色になっていく。影の皮がはがれるし、溜めていた光を発散し始めるから。そうして、朝日の頃に、完全になる。完全になって羽ばたいて、透き通り消える。
飛ばなければ、消えなくて済むかもしれない。影の中にいれば。けどそれでも彼らは飛ぶ。
それは、習性とか本能とか、そういったことじゃなくて。慣習でも、習慣でもなくて。
単に、金色になって光に溶ける、その時の感覚が好きだから。その瞬間こそを、愛しているから。
夜明けのコウモリは金色で、朝日に透き通って消える。高揚と幸福にに酔いしれながら、美しい朝の光になる。
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