大黒流の舁山(かきやま)

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舁山の標題 【威風堂々忠儀漢】 (いふうどうどうちゅうぎのかん) 母里(もり)太兵衛は、安土桃山時代から、江戸時代にかけての武将であり、筑前(福岡)藩を治めた黒田如水(黒田官兵衛)、黒田長政に仕え、槍術に優れた武将として活躍した。 文禄、慶長の役休戦中京都の、福島正則の元へ長政の使者として、使わされた太兵衛は、正則に「この酒を飲み干せば、好きな褒美をとらす。」と酒を進められた。 さらに「黒田の武士は、酒に弱く、酔えば役に立たない。」と家名を貶められた。 太兵衛は、黒田家の名を汚すまいと、大皿になみなみと注がれた酒を、一気に飲み干した。 太兵衛は、正則が秀吉より拝領した名槍「日本号」を所望し、正則は「武士に二言はない。」と褒美を差し出した。 これにより太兵衛は「呑取り日本号」という異名と、越天楽(筑前今様)の節回しと共に「黒田節」として、黒田家の男意気を示す逸話として、広く知られるようになった。image=499588372.jpg
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