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「……ふ……うぅっ……」
また涙が溢れてきた。
怖いからなのか、悲しいからなのか。
それとも弁解も反論も出来ない自分が情けないからなのか。
拭えど拭えど熱い雫は抱え込んだ膝に滴っていった。
カヨは抜きん出て目立つ生徒では無い。
しかし長く美しい月色の髪をとってか、淡い空を映す大きな双眼をとってか、彼女達はカヨに対して酷く苛立ち、鬱憤を晴らそうとしていた。
そんな彼女達に対してカヨが出来ることといえば逃げる事だけだった。
「……」
カヨは思考を閉ざすようにおもむろに制服のポケットに手を入れ、それを取り出した。
長く細い金鎖のその先に、手のひらに収まるくらいの丸く古い時計が付いている。
全体的に錆びているが、暗闇でも静かに光る蓋が手入れが行き届いている事を示している。
カヨは時計を握り締めて肩の震えが止まるのを待った。
お守り代わりに肌身離さず持ち歩いているこの懐中時計には、昔から不思議とカヨの涙を止める力がある様な気がしていた。
金葢を開けると現れるのは、時という確かで不透明なものを刻み続ける針と文字盤。
そしてその奥にある神秘的な世界。
何よりこれをくれた人物をカヨは好いていたし、「泣き虫な自分の為に」という温かな想いがこの時計を更に価値あるものにしていた。
(今頃、心配してるだろうな)
両親の姿が目に浮かぶ。
連日帰りが遅い娘を両親は学生の常だと考えていた。
無論心配を掛けまいとカヨが吐いていた嘘なのだが、流石に今夜はおかしいと勘付いている事だろう。
(少し、休んでから帰ろう)
とにかくカヨは休みたかった。
平和な日常が狂ってしまったのも、真夜中の学校に一人というこの状況も、もうどうしようもない事のように思えた。
「はぁ……」
夜というものは起きていると時間が経つのが長いらしい。
さっきから時が進んだ気がしない。
このまま、ここに居たらどうなるのだろう。
せめて朝が来るまで、この小さな世界にひとり――。
この音楽室はまるで現実を忘れさせてくれる小さな別世界だった。
それは手に入らないある種の贅沢なものだ。
人は、人と関わらずして生きては行けないのだから。
(どこか……遠く知らない世界に行きたい……)
扉に寄り掛かり、言葉を心に並べる。
それが単なる虚言妄言ではなく、真に己が強く願ったものだと知ったのは異変が起きてからだった。
ガチャッ
突然、中から鍵をかけたはずの扉が開錠の音をたてた。
「えっ……」
間髪を入れず扉が開き、支えを失った身体が宙に浮く。
(何……!?)
誰か戻って来たのだろうか?
それとも……
「わっ……きゃあああああああぁぁぁ――……」
考える暇もなく、カヨは闇の向こうに背中から落ちていった。
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