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恭がいつもの笑顔で右手を差し出す。が、蒼依は険しい表情で首を横に振った。
「行かない。私は、元の世界に帰りたいから」
恭に劣らないほどの強い目を向け、きっぱりと言い放つ。その瞬間、激しく歪む恭の顔。
しばらくの沈黙の後、恭がゆっくりと言葉を発した。
「母親が、お前の帰りを望んでいないとしても?」
「……どういう意味?」
蒼依が眉をひそめ、怪訝な顔を向けながら問い返した。恭は少し目線を下げ、その問いに答える。
「俺、蒼依がいなくなった後におばさんに会ったんだ。あの人、俺に何て言ったと思う?『娘なんかいらない』って、笑いながらそう言ったんだよ」
「……笑い……ながら……?」
恭の言葉は一瞬で蒼依の心を打ち砕いた。あまりのショックに、体を支えていることすらできず崩れ落ちるように地面に膝をつく。
母に面と向かって『いらない』と言われたのは確かだ。そして、今もなお不要のレッテルを貼られ、この世界に隔離され続けていることも。
しかし、それでも。
蒼依の身を案じてくれているかもしれない。暴言を吐いた事を後悔してくれているかもしれない。……心のどこかで、そんな淡い期待を抱いていた。
だが、そんなものはただの願望に終わった。母は、恭に向かって『笑いながら』蒼依の存在を否定したのだ。
膝をついたまま、止めどなく涙を流す蒼依。その正面に恭が屈み、蒼依の顔を覗き込む。
「わかるだろ?帰ったって、俺達に希望なんか無いんだよ」
恭は慰めるように言って立ち上がり、放心状態の蒼依の手を引いて助け起こした。
「1週間後、この時間にここで待ってる。その時までに結論を出すんだ。……蒼依、よく考えろよ。どちらの世界が俺達を幸せにしてくれるのか」
蒼依の頭をそっと撫でて囁くと、恭は踵を返し走り去っていってしまった。その後ろ姿を茫然と見送る蒼依の頭の中に、様々な思いが巡り廻る。
元の世界に帰りたかった。"日常"の中に戻りたかったから。その思いだけでここまで来たのだ。でも……。
――あの世界に帰って、何があるの?
お母さんは私を必要としていない。誰も私の事なんて待っていないんだ。
わからなくなってしまった。
私は本当に……元の世界に帰ることを、心から『求めている』と言えるのだろうか。
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