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娘が、数年ぶりに家に帰ってきました。
頬を林檎の様に赤く染めて、人懐こい笑顔を見せる三つになる子供を連れて。
私は優にあの頃の母の歳を越えてしまいました。
そしていつの間にか――娘があの頃の母の歳となったようです。
そんな娘と、無邪気に笑う孫を見ていると――あの日を思い出さずにはいられませんでした。
――1945年3月10日
夜も明けきらない時刻のことでした。
まだまだ春は程遠く、寒さが厳しい時期であったにも関わらず、むわっとする暑さと焦げ臭い匂いに目が覚めたのです。
寝ぼけ眼(マナコ)で周囲を見渡せば、辺り一面真っ赤でした。
余りにも赤々としており、それが轟轟(ゴウゴウ)と燃え上がる火には見えず……あえて言葉にするのならば、夕焼けが目の前まで迫ってきたような……謂わば背景の様にすら見えたのです。
当時五つであった私は、まだまだ若い母に抱き抱えられ、迫り来る炎から逃げていた様でした。
母は私の事を、それはそれは強く抱き締めており、煙ではなく、母の腕の力によって息苦しさを感じていたことを何となく思い出すことができます。
迫り来る赤よりも、唯一の頼りである母の顔が見えない事に恐れを抱きました。
僅かな視界からは、赤々とした光景しか見えず、そして、耳を劈(ツンザ)かんばかりの悶え苦しむ様子の伺える悲鳴が聞こえていました。
人に揉まれながら、一体何れだけの距離を、私と母は逃げたのでしょうか。
冬型の気圧配置による強い空っ風に煽られ、火が火を呼び、逃げても逃げても赤から逃れられませんでした。
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