ゴール

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シャッターの閉ざされた駅前商店街を行き交う人の流れは、倍速再生のビデオを見るようにせわしなかった。 唯一シャッターを開けている古い履物屋の前だけ、まるで別の映像が合成されたかのように、 老主人が、ゆっくりと箒を動かしている。 舞い上がる塵は、歩道に架かった古いアーケードの継ぎ目から漏れた朝の陽光を受けてキラキラと輝き、 絶え間ない人の流れに翻弄されながら、辺りを漂っていた。 由香のハヤる心は、鋼に弾かれたようなスピードで、 その真ん中を突っ切った。 きらめく塵の渦を残し、何人もの通行人を追い越して、 バスを待つ人の列の後尾に着いた。 ‥‥しかし皮肉にも、その後ろ姿を見届けたのは、 ようやく履物屋の前に差し掛かったばかりの、 由香自身の不自由な身体だった。 恐れていたディーゼルエンジン特有の唸りが背後から近づき、 右半身に生暖かい排気ガスの風圧を残して、 いつものバスが、今、由香を追い越して行った。 (ちくしょう、この足さえ‥‥) 由香は駅を出てからずっと、 出がけに取れてしまったシャツのボタンと、 駅の階段をべちゃくちゃ喋りながら降りていた二人連れの中年女と、 寸手のところでドアの閉まった急行と、 ひと月経っても一向に慣れない松葉杖と、 すぐに慣れますよと無責任な言葉を繰り返すリハビリ担当医と、 講義に遅刻する奴に単位はヤらんと公言してはばからない単細胞教授と、 まだ着工する気配もない再開発を理由に、駅前にあったバス停を、 とんでもなく遠くに移動させた無慈悲なデベロッパーと、 ‥‥ 思いつく限りのムカつきの種を、次々歩道の上に浮かべては、 そいつらを松葉杖の先でテンポよく小突き続けることによって、 胸の奥に封じ込めてきた黒い虫が這い出そうとするのを、 かろうじて抑えてきた。 しかし、たった今由香を見舞ったエンジン音と排気ガスは、 その虫をあっけなく燻し出してしまった。 それは、 急な階段教室の通路を友達とふざけながら降りていた 自らの不注意に対する悔やみの念であり、 あんな所でコケたくらいで簡単に骨折してしまうような 不甲斐ない自らの足首に対しての、恨みの念でもあった。 県切っての陸上有名校で、インターハイ出場の夢を託され 鍛え上げられてきたかつてのアスリートの左足は、 いま、ギプスに固定されていた。
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