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バスは定刻どおりの運行を掟とする「鉄の意志」によってバス停に留まり、
配給を待つ難民のような人々の列を静かに呑み込み始めた。
慌てるわけでもなく、遅れるわけでもなく、
大小のシルエットが従順に歩みを進めてゆく。
程なく迎える発車時刻。
鉄の意志が、自らの腹中に収める最後の一人を見極めるため、
バックミラーに意識を集中し始める頃だ。
俊足はおろか、
バックミラーに向かって大きく手を振りながら走るという古典的なジェスチャーさえ奪われた由香の身体に、いま唯一残されているのは、
杖を漕ぐストロークをできる限り大きく、派手に目立たせることで、
少しでも早く、自分の存在に気付いてもらう努力をすることだけだった。
しかし、まだ200メートル以上は離れていると思われるバスの小さな凸面鏡を介して、
果たしてそんなこっちの気持ちが伝わるのかということに関しては、
由香自身、絶望的にならざるを得なかった。
だから、
突然背後から左肩をかすめるようにして追い抜いていったひとりの男が、
見事なまでの古典的ジェスチャーを振りまきながら、バスめがけて突進してゆくのを見たとき、
そのあまりの浅ましさ、無神経さに、
思わず目眩がしそうになった。
瞬く間に遠ざかっていった男の背中は、
ディフェンスをかわすラガーのような軽快なフットワークで、
行き交う通行人の間をすり抜けてゆく。
バスの左前方から長々と伸びていた列は、
もうすぐ半分以下になろうとしている。
男は更に大きく手を振り、鉄の意志に向かって、
己の存在をアピールし続けた。
その後ろ姿から、
由香を追い抜いた無神経男のリアリティが
だんだん薄れていった。
大きな尻をこちらに向け、ふてぶてしく横たわるバスに向かって、
必死に手を振りながら小さくなってゆくそれは、
由香の目からは、
次第にコミカルなゲームキャラクターのように見えてきた。
必死のアピールにより鉄の意思を捉えた男が
ギリギリの滑り込みを果たし、
ステップを昇る背中をファンファーレが祝福するのか。
はたまた、鉄の意志が初心を貫き、
もう一歩というところで扉の閉まったバスを呆然と見送る男の背中に、
“GAME OVER”の文字が重なるのか。
消え入りそうになる戦意を自ら鼓舞し、
なおも杖を漕ぎ続ける由香。
その生々しい現実からは、遠く離れた視線の先で、
ゲームの画面は、
間もなく運命のラストシーンを迎えようとしていた。
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