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「そうそう。最近仕事が忙しくて来れてなかったから。仕事の方にも余裕ができて、ようやくです」
「こちらもまたあなたとお会いすることができて嬉しいわ」
「ははは、ありがとう」
私が大きな声で笑っていると、唐突に横から声を掛けられた。
「そういったお話を大声でされるのはあまり感心しませんな」
私は目を瞬いて、それから話の腰を折られたことに若干顔をしかめつつ相手の顔を振りむいた。カウンターの端に座っていたはずの、眉の垂れた大柄な男だった。
「そういった大金を持っているというお話はもっと慎重になさらないと」
「最近このお店に来るようになったお客さんよ」
私の表情を読んだのか、オーナーは一言口添えしてくれた。
「そうか……忠告ありがとう」
「いえいえ。こちらこそおせっかいなことを言ってしまってすいません」
ぺこりと頭を下げる姿を見て、嫌な気持ちがすっと消えた。そもそも忠告をしてくる人なのだから、悪い人ではないだろう。
私は彼を隣の席に招いた。ゆったりとした動作で席に着いた彼はすぐに話を始めた。
「そうだ。あなたにお勧めのサービスがありますよ、ね? バーテンダーさん」
彼の顔がオーナーに向けられる。
「サービス?」
「お店の前に置いてある看板があったでしょう。あれを見ましたか?」
「いや……暗かったしそこまで詳しくは見てないかな。何か新しいカクテルでも作り出したんですか?」
言いながら、私の顔もオーナーに向けられる。オーナーは目を細めて微笑み返した。
「新しいというより、付加価値ですね。『景気のいい日はマティーニを』っていうサービスですよ」
景気のいい日。そのフレーズをここへ来る途中で思い浮かべていたことをふと思い出した。
「それはつまり、景気のいい日にマティーニを飲めばいいんですかね?」
「専用の特製マティーニがあるのよ。その値段は1万円」
このバーにおいて、普通のカクテルの値段は1000円ちょっとだ。だから1万円もするカクテルなど異質と言えた。
「大丈夫なんですか? そんなに高い値段で」
「言ったでしょう? 付加価値ですよ。気分のいいお客さまにさらに良い気分になってもらうの。高いカクテルが飲めたら、『こんな高いもの飲めちゃうんだ!』って、お金持ちの仲間入りをしたような気がして嬉しいでしょ?」
「……それって結局のところぼったくりじゃ」
「いいのいいの。怒られたらすぐにやめるから」
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