第1章

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私は盲目で聾唖の野獣のように暴れる12歳くらいの少女が、最後に修道院の聾唖学校に父親に連れて行かれる、という場面から始まる映画を観た。 残念ではらあるが、修道院長に目も見えない、耳も聞こえない、口もきけない、そんな少女を預かるところではない、っと突っぱねられる。 修道院長は言う。 「ここは聾唖のための学校なのです。」 そして、実の子供である少女を修道院まではるばる連れて長旅をしてきた父親は吐き捨てるように言う。 「精神病院に行け、ってことなんだな!」 と。 私はその盲目で聾唖の少女がスクリーンに登場したときから少女にくぎ付けだった。 外のまばゆいフランスの田舎町の夏の独特の日の光に手を上に振りあげ、眩しそうに、また嬉しそうに仰ぎ見るその少女が・・・。 そして、きっとこの子は何かしらの障害があるんだな、ということはひと目見て理解した。 しかし、聾唖の女の子たちのための修道院学校が盲目も加えられたこの少女を見捨ててしまうとは・・・。 少女の父親は「精神病院」とい言葉を口にした。 私の胸は疼くような気持ちになった。 その映画たんたんと背景や情景や会話やシーンを次から次へと変わっていくのだけれど、ストーリーに自分で先読みしてしまったり、いや、この展開と変わっていくにつけても私は冒頭の少女の父親の「精神病院」という言葉は忘れられない。 私が精神病院で嫌だったこと。 きりがないくらい・・・だ。 まず、人間扱いを、・・・精神病院に入院した時点で・・・差別、偏見、意地悪さ、人間の醜さゆえに、  されなかった。 こんなに残虐な生き地獄があるものなのか!と思った。 私は、はじめに述べたようにごく普通の女の子だった。ちょっと勢いがありすぎるけれど、常識のあるべくところではそのように行動できる、そんな普通の高校生だった。 入院したときの過去を語る自分にいささか辟易しているのも事実である。 私は公に、普通に自分が精神疾患だと周りの人に話す。周囲から同情されているようにもあまり見えない。しかし、どんな良い友人でさへも私が何か問題な話を軽くでもしようとすれば、好奇心のあまりか、「だから、それは病気だからでしょう?」と私をそのカテゴリーにあてはめる。 周りの友人は言葉を選び考えながらもどこかに私の病気が断定できそうなヒントを探る。
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