第1章

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 私は精神障害者手帳と障害年金の受給を36歳のとき申請し、37歳のときから受けるようになった。よく知っている方も多いが精神障害者は手帳を取得することで公的に何かしら免除してもらうことがある。そして障害年金の受給は障害者にとって健常者のように十分に働くことができないので非常に生活を支える上で意味が大きい。額にして偶数月に12、3万円くらい受給できる。私の場合は未成年で発病しているので申請をもっと早くしてもよかったのではあるが当時の私は「自分は病気ではない!」と意地をはってその恩恵に授かろうとはせず精神障害者手帳と障害年金には始めは見向きもしなかった。 これは私の中に自分自身が精神障害という病気を差別して見ていたためであろう。いや分からない。本当の気持ちは本人でなくては分からない。病棟で入院すると色々な人に出会う。そして自分が感じる以上に差別や偏見を多くの患者が経験してきたことをたくさん見聞きした。残念なことだが私たちの社会は精神的な病に対してたいへん閉鎖的で生きにくいのが現状だ。今では心の病は社会の複雑さもあるのだろうが誰もがかかる可能性のある病気なのである。それなのに周囲の理解不足のため、また不必要な差別・偏見のため、症状がなかなか改善せず、自分をどんどん苦しめてしまう患者がほとんどだ。 私は昨今の入院したときを思い出す。病棟に入院した。私の病院ではそう言わないが要するに閉鎖病棟である。そして隔離され、保護室に入った。保護室の体験ほど私にとって苦く辛い思い出はない。特に18歳のときと32歳のときがひどかったが昨今で体験した思い出はある看護師による無防備な言葉の暴力などであった。正直今の看護体制はたいへん整っていてとても病気に理解ある看護師が多く、多くの看護師はたいへん丁寧できめ細かくて優しい。が、たまにある人間性の現れる会話のやりとりやちょっとした注射の乱暴さなど、少しずつが心が弱くなって病気ゆえにせん妄状態にある患者には手痛い仕打ちを病棟内で受けているように錯覚するのである。私が傷ついた看護師の言葉は私がいる保護室を担当している看護師が「もう、この部屋飽きた!!」と吐き捨てるように言ったことなどである。決して看護師を悪くいいたいのではないことをご承知頂きたい。
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