誤算

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 「……やはりワシは天才じゃな。長尾の者共の、慌てふためく顔が目に浮かぶわ」  宗綱は己の軍略に惚れ惚れしていた。元より戦上手を自負していた彼だが、今回は特に素晴らしい作戦を立てたと感じていた。  「殿、暫しよろしいでしょうか」  その時、何者かが宗綱に声を掛けた。馬上で恍惚としていた宗綱だったが、その声を聞いた途端に白けた表情になる。  声を掛けたのは佐野家で長年家老を務めた男、大貫越中守である。実は宗綱が今日の出陣を決めた時から越中守は出陣に反対しており、これまでも何度も諫言を行っていた。  今回も越中守は諫言を行うつもりのようで、宗綱の馬の轡を取り、懇願するように言った。  「今一度、出陣を見合わせる事をお考え下さい。せめて今日の出陣は取り止め、日を改めた方が」  「くどい。ワシは出陣を取り止める気も、日程を変えるつもりも無い」  折角気分が高揚していた所へ冷や水を差された宗綱は、越中守の諫言をバッサリと切り捨てた。そして気分でも害したのか、そのまま越中守をなじり始める。  「越中よ。お前はワシの采配に不満か? 上杉家や北条家を悉く退けたワシの采配に、マズい所でもあると言うのか?」  宗綱のこの自信たっぷりの台詞は、何も若さ故の自惚れだけから来ているのでは無い。今までの実績あっての態度であった。  佐野家は勢力としては決して大きくなく、地方の一領主に過ぎない。しかし周囲を北条、上杉などの大勢力で囲まれている中、田舎の一領主とは言えこれらに呑みこまれず独立を保っている事は、宗綱の有能さを示していると言えよう。  『関東一の山城』とも称される堅城・唐沢山城を擁し、自身の武略も優れていた宗綱は、十五歳で家督を継いでから今の今まで負け戦という物を経験したことが無かった。あの上杉謙信にも数度に渡り攻められた事があるが、これも全て撃退している。  宗綱はただの自信家なのではなく、優れた武将であったのは疑いようの無い事実であった。  「正月に戦争をしようとは誰も考えないであろう。だがそれは凡人の考えでワシは違う。凡庸な長尾の虚を突くには絶好の日ではないか。んん?」  宗綱は挑発的な視線を越中守に送る。対する越中守は歯を食いしばってしばらく黙っていたが、やがて思い詰めたように話し出した。  「……ここで申し上げなければ、殿はそのまま出陣なさってしまうでしょうな」
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