【明日のために】

2/7
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
それはずっとずっと、昔の話。 気の遠くなるような昔。 けれど、つい昨日のような昔…。 とある悪魔の、誓いと願いの話。 【明日のために】 彼は、一人急いでいた。 その表情からは焦りを取り払い、けれど額に浮かぶ汗が緊迫した彼の心を反映しているようだった。 ただひたすらに、彼は急いでいた。 行く手を遮るすべてが煩わしい。 いっそ全てを消し去ってしまおうか…そう考えて首を横に振る。 それは彼女が許さない。 彼女は、この理不尽な世界を、それでも愛していたから。 そう……きっと自分よりも。 彼はただ、急いだ。 息が乱れて酸素がうまく吸えない。 無意識に滲む水で視界が歪む。 何度も足がもつれた。 それでもなお、彼はただ『人』として走り続けた。 そして、漸くたどり着いた場所。 その場所で彼が見たものは――― 「うあああああぁぁぁぁぁ!!」 彼の咆哮が響く。 先ほどまではち切れんばかりに鳴っていた心臓の音すら聞こえない。 自分の叫び声が、どこか遠くで響くようだった。 瞳から、邪魔なくらいに涙が溢れる。 苦しい。苦しい、苦しい…。 目の前が真っ暗になる。 何も見たくない、何も、何も。 気づけば彼は独り、そこに佇んでいた。 広場にいたはずの人々は、いつの間にかいなくなっていて。 その代わり、そこには、細切れになった大量の何かと、赤くツンと鼻につく臭いを漂わせる赤い液体で溢れていた。 ふらり、と。 自分が動かしているのかも分からない体が、前に進む。 何の感覚もない。夢でも見ているのだろうか。 そう思いながら、彼は目の前のモノに触れる。 ひやり…とした冷たさが、彼に現実だと訴えかけているようだった。 彼はそっと、そのモノを抱き寄せる。 それは、自分が愛した少女。 清らかな心で。世界を愛していた少女。 彼女が何をした? 世界を、人を愛していた彼女が、いったい何をしたというのだ。 彼はそっと、彼女と指を絡ませる。 冷たい手は握り返してはくれない。 「…………マイン…」 静かに彼女の名前を呟いても、彼女は答えない。 その瞳が開かれることはない。 より大きな彼の咆哮が空に響いた。 どうしてこんなことになったのだ、と。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!