第百一話、相模台城(千葉県松戸市)

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第百一話、相模台城(千葉県松戸市)

千葉県松戸市に鎮座する相模台城は城跡内部に裁判所等の公官庁が建ち並び、合戦場跡には松戸中央公園や学校が並んでおります。 また相模台戦跡の石碑は大学の敷地内にありますので、そこを見学するには守衛さんに断ってから入る事になります。 いやー、若い学生達に混じっていい年こいた夫婦連れが石碑の周りで写真を撮りまくっていたのですから、変な人を見る目で眺められていたかも知れませんね。 いやしかし、そんなことは些細な事なのですよ。 歴史の為なら変人と思われようと奇人と思われようと……。 なわけない。 でだ、この相模台城ですが意外と歴史が古く、築城主は前北條氏(小田原北條氏ではない)が築城したらしく、北條相模守高時が居したことから相模台城と呼ばれたようでございます。 遺構群は残念ながら殆ど残ってはおりませんが、裁判所入口と公園入り口に挟まれた道路を坂を下る様に進むと、どうもそこは竪掘り跡のようで、そこから見上げる張り出した丘は、物見台跡のようにもみえるのです。 その歴史も関東の風雲に巻きこまれており、第3代古河公方(鎌倉公方)足利高基の兄弟、足利義明(小弓公方)がここで後北條氏の氏綱と戦っております。 相模台城の向かいに、ぽつんと小高く見える丘は松戸城跡ではないか?とも云われている戸定公園があり、もしそこが松戸城跡であるなら北條勢ががらめきの瀬と呼ばれた矢切りの渡しを越えて陣を定めた場所こそがその戸城公園なのでございます。 まぁ相模台城を訪れた後に戸定公園にある歴史館に行ってみたのですが、どうも千葉県の方にとって後北條氏は仇と映っているようで、北條ファンであり北條氏が陣取った城がここなのか調べている。と言った途端に、分からない。知らない。ここは里見氏の本拠だ。と云われてしまいました。 里見氏がこんな所まで出向けたのは第2次国府台合戦のときまでじゃないのか? それからは鳴かず飛ばずで安房一国に押しやられて小田原の役直前までにはほとんど北條の属領のようになってたじゃん。 と云う訳にもいかず、さいでございますか。と引き上げてまいりましたの。おほほ。 さて、戸定公園の話しになってしまいましたが、この相模台城、平野の中にいくつか聳えた山塊を削平した古城ですが、国府台の激戦を思い浮かべながら戦国の昔に思いを馳せてみるのは如何でしょう。 ちなみに、公園には旧陸軍工兵学校正門柱も残ってますよ。 image=484774494.jpg
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