第百二十五話、神流川古戦場(埼玉県児玉郡上里町)

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第百二十五話、神流川古戦場(埼玉県児玉郡上里町)

ここは第百十九話の軍配山と内容がかなり被るんですが、とりあえず書いて行きましょう。 さて、タイトル通り今回は城跡ではなくて古戦場跡でございます。 あの織田信長が本能寺の変で斃れた直後、関東管領として厩橋(まやばし:前橋)に赴任していた滝川一益が北関東諸将を引き連れて小田原北條氏と争った一大決戦場です。 戦国時代を通して関東で最大の合戦が行われた場所としても有名ですね。(ですか?) 最大級の合戦としては河越夜戦もあるのですが、こちらは資料的裏付けが取れない合戦なので除外されるのでしょう。 話は進みます。 さてさて、天正10年ごろは織田氏と北條氏は繋がりを持っており、織田氏が甲斐武田征伐軍を催した時には北條氏も同盟して従軍するなど友好的な態度を取っておりました。 ところが武田家が滅び、甲斐・駿河・信濃・上毛方面が織田方の手に落ちたにもかかわらず、甲州征伐に参加した北條氏にはビタ銭一文の加増もありませんでした。 この事から織田氏は北條氏をいずれは飲み込む目論見があったとも言われております。多分間違いないでしょう。 これが元で北條氏は腹に一物を置くようになったようでございます。 しかし軍事・経済面から劣る北條家、表面上は友好的態度を取りました。 が、その後も滝川一益が関東管領として上州入りしても鎌倉公方(古河公方)足利義氏には何の連絡もよこさず、北條家の権威を無視し続けます。 そして我慢に我慢を重ねていたとき、降ってわいた幸運が北條家に訪れました。 織田信長が本能寺に倒れたのです。 このチャンスを逃しては北條家累代の夢、関東一円の切り取りを実現する事が出来ない。 北條氏政、氏直親子は俄然やる気を出して滝川一益追討の軍勢を催しました。 これが神流川合戦の端緒となります。 これに対して滝川一益は反北條側の北関東諸将を味方に着けると、武蔵の国児玉郡上里村付近で軍勢を展開。 緒戦は北條氏邦・氏直の軍勢を一部追い散らす程の活躍をみせていました。 しかし、援軍に北條氏規がやって来ると形勢が悪化。一益に味方していた北関東勢が様子見の軍勢となります。 これで滝川軍の劣勢が確定し、一挙に信濃方面まで押し込まれて行きました。 後に天正壬午の乱の端緒ともなる神流川合戦。 畔に立つ古戦碑の横で神流川の流れを見ながら、かつての大合戦に思いを馳せるのは如何でしょう。 image=498116780.jpg
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