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 翌日の昼。冷やしそうめんを食べ終わった兄が庭から自転車を持ち出し、門のほうに向かって押していくのが見えた。  私も食べかけのそうめんを放り出して居間を出る。 「食べ終わったらちゃんと片付けなさい!」と言う母の怒鳴り声が後ろでしたが、そんなものに構っている暇は無い。  玄関で運動靴をつっかけ、自転車のペダルを漕ぎ始めた兄を必死に追いかける。  可哀相な私はこの時まだ自転車を買ってもらっていなかった。  母曰く「お兄ちゃんが買ってもらったのは四年生の時だからあんたも四年生になったら買ってあげるわよ」なのだが、翌年この約束はあっさり破られることになる。  そんなわけで、自転車に乗った兄を私は走って追いかけなければならなかった。  私にとって幸運だったのは、兄の向かった先が清水坂で、最初の数百㍍ほどがかなり勾配のきつい上り坂だったことだ。  兄が立ち漕ぎで懸命に逃げる。その後ろを私が駆け足でぴたりとマーク。  兄が逃げ切るか、私が差し切るか。いや、差す必要は無い。追いついて荷台に乗ってしまえば良い。  坂の途中でなんとか追いつき、私は自転車の荷台をがっちり掴んだ。  諦めたように立ち漕ぎを止めて自転車から降りる兄。私は目一杯恨めしそうな顔を作って睨みつけた。 「しょうがねぇなぁ。連れてってやるから放せよ」  ぜいぜいと息を切らせながら、兄が額の汗を拭う。 「一緒に押してくよ」  私はそう言って自転車を押し始めた。  自転車から手を放した状態で坂を上りきったらまずい。  そこから下りで一気に引き離される危険性がある。  連れてってやるよ、なんて甘い言葉に騙されてはいけない。  兄はそういうことを案外平気でやる人間だった。
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