紡~Tsumugi~

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紡~Tsumugi~

窓から射し込むやわらかな月明かりの下で、一心不乱にペンを走らせていた。気が付けばもう時刻は丑三つ時を回っており、外は夜の帳に沈んでいる。耳を澄ませば、草木も眠るというふれこみはどこへやら、未だ眠らない大都会東京の街中を駆け巡る自動車の唸りが聞こえてくる。だがそれにも拘わらず、雲一つない夜空にて文字通り高みの見物をする月は高潔で凛とした淡く青白い月光を、幾千年も前から同じように落としてきたのであろうそれを投げかけ続けていたのであった。 「ただいマ」 すると、安普請な薄いドアが開く音と共に、少し片言な日本語が聞こえてきた。俺が顔だけをそこに向けると、丸刈りの頭に糸目でのっぺりとした顔立ちの男が、オイルに汚れたつなぎを着て疲弊した面持ちで、この六畳一間の部屋に戻ってきたのである。 「お疲れさん、金(こん)さん」 「アー、まだ起きてタ。よく毎日飽きないナ」 金さんは中国人で、技能実習生である。俺が上京した際に大家側の手違いで部屋がブッキングしてしまい、互いの身の上を知ったことで奇妙な同居生活を行っているのだ。技能実習生は恐ろしく賃金が低いと聞いたことがある上俺も定職がないため、金に困っている両者にとってルームシェアはありがたい話ではあった。 「夜更かシ、良くなイ。明日のサンゴン…アー、アルバイトに、響ク」 「気遣いはありがたいけど、こんな遅くまで働かされてる金さんよりはマシだよ」 「私、辛イ思たことなイ。国より万倍マシね。このショウイー…ト、技術、を学んで、故郷に錦飾ル。そのシーワン…希望、叶えるまデ、私、頑張れル」 「…そうか。金さんはすごいな」 金さんは都内の自動車工場にて働いている。そこで朝早くからこんな深夜まで汗水を垂らして働いているのだが、彼は一度たりとも不平不満を漏らしたことはない。ニュースで技術実習生の待遇の劣悪さや、その不当な扱いに耐えかねて殺人を犯した実習生の報道が入っても、金さんは顔色一つ変えなかった。こんな世間から見れば半分ニートのような生活を送る俺からすれば、見上げた向上心と根性を兼ね揃えた強い男に見えた。 「でも、私前から思てタ」 「何?」 すると、突然金さんが改まって俺に向き直ってきた。 「アナタ、ジゥジー…就職、しないのカ?」 「今の所は、そんな気はないかな」 俺はそう答えることしかできなかった。
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